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【今日は何の日?】5月23日=東京・杉並区の中学校庭から骨壺がザクザク(1973年) / 雑学ネタ帳
![杉並清掃工場(高井戸).jpg](https://kaigoshoku.mynavi.jp/contents/kaigonomirailab/news/2023/05/90d29c67eebb5c2ac582aa89ceaec295dad314a7.jpg)
《画像はイメージです》
ちょうど半世紀前の1973(昭和48)年。東京・杉並区立東田中学校で、学校給食の生ゴミを処理するために校庭の一角を掘っていたところ、骨壺3個分もの破片がザクザクと発掘されました。
中に骨は入っていませんでしたが、破片をつなぎ合わせたところ、南太平洋にて戦士した兵士の名前が読み取れました。同校の敷地は戦後になって、他所から瓦礫を運び込んで湿地を埋めて造成されたもの。杉並区教育委員会では、その際に骨壺が紛れ込んだのでは?と推測しています。
さて。なんでゴミを校庭に埋めようとしていたか?と言いますと、この当時「東京ゴミ戦争」と呼ばれた大騒動によるものでした。古くから都内23区全域のゴミは江東区内に運び込まれ、夢の島造成など埋め立てに使うなど処理されていました。ところが江東区内の人口増加、ゴミその物の増加に伴い、大量のゴミ搬入に伴う悪臭やゴミ火災、交通渋滞やハエなどの大量発生が深刻化していたのです。
江東区側でも、ゴミ処理は各地区で処理場を設置して行うべきとの意見を、都に訴えました。杉並区では戦前期より、現在の環八沿いに清掃工場を設置する計画があり、66(昭和41)年にその場所が京王井の頭線の高井戸駅付近に選定。しかし高井戸地域の住民がこれに反発し、清掃工場建設計画もこう着していたのです。
そんな中、江東区側が杉並区からのゴミ搬入を拒否する事態となり、杉並区内では収集されることもないゴミが集積所に山積みとなっていたのです。それで給食の生ゴミを処理するために、仕方なく校庭に穴を掘っていたのでした。
問題の杉並清掃工場は78(昭和53)年に着工され、82(昭和57)年に完成。住宅街にそびえ立つ160メートルもの白い煙突(写真)は、"白い巨塔"などと呼ばれ、現在も高井戸駅周辺のシンボルとなっています。
奇しくも清掃工場の着工が始まった78年に放送され、大人気となっていた田宮二郎さん主演のドラマ『白い巨塔』(フジテレビ)にて、舞台となる浪速大学病院の外観として撮影に使われていたのは、清掃工場から京王井の頭線と環八と神田川を挟んだ反対側にある浴風会病院だったりします。豆知識。
そんな、東京ゴミ戦争の余波で発掘された骨壺でしたが、東田中学ではいったん穴掘りをストップし、校庭にお線香を上げたそうです。
参照 : 昭和48年5月24日付の朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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