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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/06/03

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【今日は何の日?】6月3日=都内の老舗遊園地・多摩川園が閉園(1979年) / 雑学ネタ帳

田園調布せせらぎ公園(旧多摩川園の「大山すべり」跡).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

44年前の1979(昭和54)年。東京近郊の子どもたちに半世紀以上も親しまれ続けてきた老舗遊園地・多摩川園(東京都大田区田園調布)が、この日の営業を最後に閉園。54年の歴史に幕を下ろしました。閉園に至った理由は「遊園地として面積(約4万9,000平方メートル)が狭すぎること」「近隣騒音」などが挙げられています。

東急・東横線や目蒲線(現・目黒線)の多摩川園駅(現・多摩川駅)と直結していた多摩川園は1925(大正14)年に開園。子ども用の遊び場のほか、大理石の大きな浴槽のある「夢の城」など、ヘルスセンターのはしりでもありました。戦前期にはまだ遊園地自体の数も少なかったため、よく映画の撮影にも使われており、田中絹代さん原節子さんら往年の名女優たちも、よくロケに訪れたそうです。

戦後になって最大のウリとなっていたのは、それまで旧両國国技館(日大講堂)で行われていた菊人形展(9~11月末)と、昭和20年代から名物となっていた納涼スリラーショー(7~8月)でした。

入場者のピークは戦前期と、昭和30年代後半から昭和40年代前半まで。年間約100万人前後を動員していましたが、近隣に数多くの遊園地がオープンした影響もあり徐々に客足が落ち、前年(78年)には年間42万9,000人と全盛期の半分以下となっていました。

敷地の狭さからダイナミックな新設備の導入が難しかったこと。付近が都内屈指の高級住宅街となってしまったため、スピーカー音や入園者の声など騒音に対しても苦情が増加していたことも閉園を後押しすることになったのです。

多摩川園ラストとなったこの日は入場無料!これにて見納めとばかりに、3万5,000人もの老若男女が多摩川園にお別れを告げるために来園しました。

閉園後、敷地は東急系列のテニスクラブとなり、以降はその敷地を大田区が買収する形で公園として整備。2008年からは入場無料の「大田区立田園調布せせらぎ公園」として開放されています。高低差の激しい立地を活かした名物すべり台「大山すべり」があった傾斜は現在、「大山坂」という長い階段(写真)となっており、案外と遊園地時代の名残りが残されています。また、せせらぎにはサワガニの姿なども見られます。

カラー映像で往年の多摩川園の様子を確認するには、ほぼ全編が当時の園内で撮影されている特撮ヒーロー『スペクトルマン』の第61話「恐怖の怪獣ショー」(72年3月11日放送)がオススメ。また松田優作さん主演のドラマ『探偵物語』の第6話「失踪者の影」(79年10月23日放送)は、閉園直後の施設解体工事中に園内で撮影されており、回転木馬を舞台に松田優作さんと片桐竜次さんが激しい銃撃戦を繰り広げています。

 参照 : 昭和54年6月4日付の読売新聞朝刊

    文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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