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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/08/08

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【今日は何の日?】8月8日=「こどもの国」の敷地が田奈弾薬庫に内定(1960年)/ 雑学ネタ帳

こどもの国(横浜市青葉区).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

63年前の1960(昭和35)年。厚生省(現・厚生労働省)が建設を計画していた中央児童厚生施設 こどもの国(当時の仮称は「子供の国」)の敷地が当時、在日米軍の管理下にあった田奈弾薬庫(横浜市港北区=現・青葉区の奈良町と東京都町田市三輪町)に内定しました。

用地確保を急いでいた中央児童福祉審議会の中央児童厚生施設特別委員会にて、この日に田奈弾薬庫が最適地と認められたものです。

そのほか、埼玉の朝霞(現在の朝霞中央公園一帯)、東京の代々木(現在の代々木公園やNHKの一帯)、神奈川の辻堂(現在の辻堂海浜公園、湘南工科大学の一帯)など当時、米軍に接収されていた解除予定地が有力候補に挙がっていましたが、検討の結果、いろいろと難点も見つかり、数回の現地視察の結果、最終的に田奈弾薬庫が候補地に内定したのでした。

田奈弾薬庫は国有地であり、戦前から旧日本陸軍の弾薬組み立てや格納などを目的とした最大の軍事施設でした。150平方メートルもの敷地面積のほとんどは数々の谷が刻まれた小丘陵地帯。樹木も多く自然環境に恵まれていたことも決定打となったそうです。

厚生省ではさっそく在日米軍、防衛庁などの了解を求める交渉に入りました。その結果、5年後の65(昭和40)年5月5日に開園に至っています。

現在はこどもの国線(横浜高速鉄道)でアクセスも容易ですが、開園当時は小田急の鶴川駅から3km、国鉄横浜線の長津田駅から5kmの立地と発表。バスかマイカーでの来園が基本でした。

66年に田園都市線が開通し東急の長津田駅も開業。67(昭和42)年からは東急長津田駅から、戦時中より存在していた弾薬庫への引き込み線を利用した東急こどもの国線が開通しています。

ちなみに弾薬庫も引き込み線も軍事施設であるため、戦後のある時期まで地図等には一切、記載されていないシークレットな存在でした。
 
  参照 : 昭和35年8月9日付の朝日新聞朝刊

             文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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