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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/08/10

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【今日は何の日?】8月10日=喜劇俳優・堺駿二が舞台で急死(1968年)/ 雑学ネタ帳

新宿東宝ビル.jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

55年前の1968(昭和43)年。夜9時10分ごろ、新宿コマ劇場(※2008年に閉館。跡地は現在、新宿東宝ビル=写真)で上演される舞台に出演中だった喜劇俳優の堺駿二さん(タレント・堺正章さんの父)が突如、舞台袖で倒れて間もなく死亡しました。死因は脳出血と診断。まだ54歳の若さでした。

堺さんは8月3日開演の納涼コマ喜劇会の「爆笑!大暴れ捕物帖」に出運中。夜の部の終わり近く、息子役の森川信さんが、妹が殺されたにも関わらず、なかなか仇討ちできずに口惜しがる様子を見かねて、「私がやってやる!」と捨て台詞を残し、舞台袖に消えた途端に倒れたのです。

森川さんをはじめ、出演中の誰もが堺さんによる芝居中のアドリブだと思い「おっかさん、気をつけろよ。大丈夫かな...」なんて声をかけ、そのまま舞台を続行したため、2,500人の観客も堺さんの急死に気がつかなかったそうです。

この日の堺さんは、昼の部でも劇団仲間に冗談を言うなど普段と変わりない様子で、夜の部の休憩中にも「梅酒を飲み過ぎた」と、幾分か普段よりも顔が赤い程度で、とくに変わった様子はありませんでした。

堺さんは大正末期に子役として初舞台を踏んだ叩き上げの俳優。31(昭和6)年までは新派の役者として活躍した後、日本に一時帰国中の早川雪洲さんの内弟子となり、「堺駿二」の芸名をもらい、雪洲さんの渡仏後は浅草オペラ館へと移り喜劇に開眼。シミキンこと清水金一さんと組んでのドタバタ喜劇で話題を呼び、戦後はたんぽぽ劇団空気座と移り、喜劇映画のブームに乗っかり人気者に。昭和30年代後半からは女装してのおばあちゃん役が十八番となり、テレビを中心に活躍していました。

この時期は次男の正章さんがザ・スパイダースの爆発的人気とともに大活躍する姿を、なによりも楽しみにしていたそうです。

突然の訃報に、妻の栗原柳子さんは「もっと長く舞台が続けられれば良かったのですが、舞台人が舞台で死んだのですから、本人としては満足だったでしょう」と気丈に答えています。

 参照 : 昭和43年8月11日付の朝日新聞朝刊

      文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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