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【今日は何の日?】9月1日=関東大震災から半世紀後、現在から半世紀前に行われた大掛かりな防災訓練(1973年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
今日は関東大震災(1923年=大正12年)から、ちょうど100年。「防災の日」ということもあり、全国各地で防災訓練等が行われていることと思われます。では、ちょうど中間となる半世紀前の1973(昭和48)年には、どのような防災訓練が行われていたのでしょうか?
この時期は「大地震69年周期説」が唱えられており、周期の入口は5年後の78(昭和53)年頃とされていました。また根室沖地震や伊豆諸島の海底火山爆発、さらに中南米地震など不安をかきたてるニュースが相次いでおり、全国各地で実施された防災訓練も真剣そのものだったそうです。
関東大震災で壊滅状態に陥った都内では、特にその傾向が顕著で、都内では関東大震災の発生時刻と同じ午前11時58分、サイレンを合図に各家庭で一斉に火気使用を止めるという都民総ぐるみの試みが行われました。
とくに東京駅前の八重洲地下街で行われた訓練は、訓練であることを忘れさせるほど真に迫ったものとして話題になりました。
まず午前8時29分に関東地方南部を中心に関東大震災級の強い地震が発生(東京地方は震度6=烈震)。地震発生と同時に都内全域で家屋の倒壊や火災が相次ぎ、中でも出勤ラッシュと重なった八重洲地下街では非常口の一部が崩れ落ち、通路の明かりが消え、約2,000の通行人がパニック状態――という設定です。
地下街全体に「ゴー」という不気味な地鳴り音をテープで流し、その直後には数か所で発煙筒が焚かれ、真っ暗となった地下街いっぱいに白煙が充満します。
逃げ惑う「疑似通行人」の皆さんにも、実際に悲鳴をあげてもらい、1分後には地下商店会自衛消防隊員らが避難誘導を開始。3分後に駆けつけた第一消防方面本部の消防隊員300人と、警視庁機動隊員ら450人が本格的な消火、救助活動に乗り出します。
煙の立ち込めた地下街通路には、いたる所にケガ人がうめき声をあげ、崩れ落ちたショーウインドーの下敷きとなった人の姿も...。
酸素マスクで身を固めた救助隊員らは、サーチライトを手に通路を駆け回り、次に負傷者を担架に乗せて地上の救急車へと搬送。火災の延焼を食い止める最新式のスモークシャッターや、店内に閉じ込められた人を救い出すためのシャッター切断機の威力も、この場で存分に披露されたそうです。
参照 : 昭和48年9月1日付の読売新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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