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【今日は何の日?】9月8日=東京~栃木間200kmを血清積んだパトカーが深夜のリレー(1962年) / 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
61年前の1962(昭和37)年。危篤となった重病患者を救うために警視庁、埼玉県警、茨城県警、栃木県警のパトカーが連係し、深夜のリレーで都内から栃木県まで血清を運び、患者を救うという出来事がありました。
危篤となったのは栃木県那須郡湯津上村(現・大田原市)で農業を営む男性(56)。当時、ネズミの排泄物に触れることの多い農家や食物を取り扱う業者に多く見られたワイル氏病(黄疸出血性レプトスピラ病)で、9月4日から症状が悪化し危篤に陥ってしまったのです。
この血清は東京にしかありませんでした。都内に勤務する男性の三男(21)が、会社の社長を通じて110番で警視庁に依頼したところ、直ちに北里研究所(港区芝)から20cc入りの血清2本を入手。栃木までの通行路となる埼玉、茨城、栃木の各県警と連絡を取り、夜11時過ぎにパトカーを出発させました。
東北自動車道の開通など遠い未来のこと。血清を積んだパトカーは日光街道、奥州街道をひた走りつつ、各県警のパトカーへとリレーする形で血清を運びました。9月9日の深夜1時25分に、待ち受けていた栃木・大田原署のパトカーに最後のバトンタッチを果たすと、深夜2時30分、ついに血清が男性宅へと届けられたのでした。
男性は黄疸皮膚出血を起こす危篤状態ではありましたが、血清によって辛くも症状を持ち直しました。男性の家族や医師らは「庭先で血清を受け取った時は思わず嬉し泣きした」と語っていたそうです。
参照 : 昭和37年9月9日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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