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【今日は何の日?】9月19日=長嶋茂雄が一塁ベースを踏み忘れ、ホームラン台無し...(1958年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
65年前の1958(昭和33)年。後楽園球場にて行われていたプロ野球「読売ジャイアンツ vs 広島カープ」でのこと。5回裏ツーアウトの場面で巨人のルーキーにして四番打者・長嶋茂雄選手(当時22歳)が左中間に本塁打を打ちました。
長嶋選手は9月6日の阪神タイガース戦以来、8ゲームぶりとなる本塁打とあり、小躍りするかのように足どりも軽くダイヤモンドを1周してホームイン。ところがなんと一塁ベースを踏み忘れていたのです...。
それを見ていた広島の藤井弘一塁手が審判にアピールすると、審判もそれを認めて長嶋選手にアウトを宣告しました(裁定は内野ゴロ扱い)。
せっかくのホームランが台無しとなった長嶋選手は「自分は確かに踏んだと思うのだが、審判が踏まないというのだから仕方がない」と言ったものの、その表情は明らかに不服そう。
抗議をあきらめた巨人ナインがそれぞれの守備位置へと散った後も、当の長嶋選手は「たしかに踏んだのに...」とスパイクのつま先にて一塁ベースをコツコツと叩いてたいたそうな。
現在ならば、ビデオ等で即、確認できるケースですが、当時はまだそういった機器は普及していません。さらに、この試合は首都圏においてテレビ中継がなかったのです。頼みの日本テレビも金曜夜とあって、力道山のプロレス中継を放送。さらにラジオ中継もAM放送の中継はなく、日本短波放送のみが中継(夜7時30分から夜9時30分まで)していただけでした。
ちなみに、他の審判の言によりますと「長嶋は今までも本塁打したとき、ベースを踏まないことがあったが、(相手チームの)アピールがないので黙っていた」とのこと。いわば常習犯であった模様です。
このシーズン、長嶋選手は新人ながら全130試合に三塁手としてフル先発出場。29本塁打、92打点と本塁打、打点の二冠王に輝きました。打率も3割0分5厘、37盗塁を記録し、惜しくも本塁打のみが、このベース踏み忘れ事件によって30本に届かず、偉大なる「トリプルスリー記録(3割打者、30本塁打、30盗塁)を逃してしまいました。とくに長嶋選手の場合は、昭和33年の背番号3の三塁手のルーキーがトリプルスリー達成という、とてつもない3並びに期待がかかっていただけに、このベース踏み忘れは悔やまれました。
しかし35年後(1993年)の4月23日、長男の長嶋一茂さん(当時巨人=現・タレント)が打った本塁打が、「セ・リーグ通算3万本目」となるメモリアルアーチと記録されることとなります。もし、ベース踏み忘れ事件がなければ、一茂さんの本塁打は3万1本目になっていたことになります。
参照 : 昭和33年9月20日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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