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【今日は何の日?】9月23日=阪神タイガースが13年ぶりに試合放棄(1967年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
56年前の1967(昭和42)年。阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で行われていたプロ野球「阪神タイガース vs 大洋ホエールズ」の試合中、判定をめぐって阪神側が試合放棄するという不祥事が起きました。
事件が起きたのは試合開始直後の1回表、大洋の攻撃中のことでした。早くも3点をあげた大洋はツーアウト満塁の場面で森中千香良投手が打席に入ります。2ストライクノーボールの場面から森中選手が内角低めのタマを空振り。これをワンバウンドで捕球した阪神の和田徹捕手は3アウト → チェンジを確信し、森中選手にタッチせず、ホームベースも踏まずにボールをマウンド付近へと転がしてベンチへと戻りました。
これを見た大洋の岩本堯・一塁コーチが森中選手へと指示して、一塁ベースを踏ませたうえで各走者を進塁させたのでした。
この行為に対して阪神側は「アウトと言ったではないか!」と猛抗議。藤本定義監督が2度、山田コーチが1度、主審に掴みかかり、藤本監督は説得にきた他の審判に対しても「クビにかけても試合はやらせん!」と強硬な態度を示しつつ、選手をロッカーへと引き揚げさせてしまいました。
主審は場内マイクを通して「ストライク・スリーと言っただけでインプレ―中です」と説明すると、今度は場内のファンが騒ぎ始めます。
ここから30分が経過した午後7時50分。阪神は会社側の説得と「これが最後だ」という審判団の警告で「提訴試合とすることと、藤本監督は指揮をとらない」ことを条件に試合再開に応じ、藤本監督をのぞく後藤コーチ以下全選手がベンチへと戻り、バッキー投手もウォーミングアップを始めました。
ところが再三にわたって試合再開を促していた主審が、藤本監督の暴行に対し、退場をアナウンスで命じたあと、午後8時5分に阪神ナインが守備位置につかないうちにプレーを宣告したため、次の大洋打者がバッターボックスに入り、各塁にいた3走者が次々にホームを踏んでしまいました。
この間、阪神ナインは守備位置につこうとしていましたが、主審は「プレーボールの状態で1分待ったが、阪神選手がグラウンドに入らなかったからゲームセットとする」として、阪神の試合放棄を宣告したのです(9対0で大洋の勝利という裁定)。
阪神側と審判団にうっ積した感情のもつれがあったことは明白ですが、試合開始直後の1回表に40分以上の試合を中断したうえで試合終了とは、集まったファンを無視した興行スポーツにあるまじき行為ともいえます。
プロ野球の放棄試合はもこれにて通算5回目。トラブルに起因したものは54(昭和29)年7月25日の「阪神 vs 中日ドラゴンズ」以来、13年ぶりとなりました。この時も試合中のプレーをめぐって阪神側が試合放棄したそうです。
参照 : 昭和42年9月23日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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