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【今日は何の日?】10月13日=銀座の街路灯に、しばしお別れ(1962年)/ 雑学ネタ帳

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61年前の1962(昭和37)年。この日の午後6時ごろ、東京・銀座の数寄屋橋交差点の歩道に「蛍の光」のメロディが流れ出し、土曜の夜を楽しむ人出の足をしばし止めました。
地下鉄2号線(現・東京メトロ日比谷線)の工事のため、この日をもって、銀座名物の街路灯が、完成までしばし撤去されることとなり、銀座地下路線工事対策委員会が「街路灯最後の夕」が催したのでした。
♪昔恋しい~と戦前の大ヒット曲『東京行進曲』(歌・佐藤千夜子)で歌われた銀座の柳も、約1か月前から取り払われ始め、街路灯もまた数寄屋橋から三原橋にかけての51本が、この日より姿を消すことになったのです。
10月中には日比谷公園のお堀端寄りの樹木1,000本も切り倒されたり、お引っ越しすることに。2年後(64年10月)に開催される東京オリンピックまでに、日比谷線の開通を間に合わせるため、かなりの突貫工事が強いられていたのでした。
柳に続いて街路灯まで失った地元商店の若い旦那衆は、紅白の幕を張りめぐらせた空き地に集いつつ「銀座の明日の発展のため仕方ない」と言いつつ乾杯。『東京音頭』や『東京行進曲』など古いレコードに耳を傾けつつ、感慨深げだったそうな。
こうした犠牲を払いつつ、工事が進められていた地下鉄日比谷線が全線(中目黒~北千住)で開通したのは、64(昭和39)年8月29日のこと。東京オリンピック開会式(10月10日)の42日前のことでした。
参照 : 昭和37年10月14日付の朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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