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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/10/14

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【今日は何の日?】10月14日=女優・和泉雅子が蒲田駅そばで踏切番(1962年)/ 雑学ネタ帳

10月14日(和泉雅子).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

61年前の1962(昭和37)年。この日は90回目の鉄道記念日とあり、全国各地の主要駅などで人気芸能人らが、「一日駅長」「一日機関士」などに駆り出され、大いに人出を集めていました。

その中でも異色だったのは日活で、その年のニューフェイスをはじめ若手女優らが「一日名誉踏切保安掛」として都内の池袋蒲田北千住の3か所へと派遣されたのです。

踏切保安掛とは、時代や鉄道会社によって呼び名が変化しますが、ざっくり言うと踏切番踏切警手と呼ばれた時代もあれば、シンプルに交通保安係と呼ばれることもあります。 

制服姿となり、ニコニコと笑顔を振りまきつつ、手を振ることが主な一日駅長や、実際に運転するわけではなく、運転席に座って写真撮影に応じる一日機関士などとは違い、作業着姿で踏切に立ち、旗を振るといった女優さんにとって、あまりメリットがない一日~とも言えます。

当時、国鉄の蒲田駅北側にあった池上踏切へと派遣されてきたのは、日活の人気若手女優だった和泉雅子さん(当時15歳)でした。この踏切は「開かずの踏切」として有名で、東海道線をはじめ1日に1,000余本もの列車へ電車が通過し、ラッシュ時には1時間中、56分も踏切が閉まりっ放しという難所です。

あいにくの雨の中、作業着へと着替え、旗を手に踏切に立った和泉さんですが、目の前を猛スピードで通過していく特急列車に、ちょっぴり逃げ腰だったそうな...。
 
そんな15歳の美少女が、27年後(89年)に、日本人女性として初めて北極点に到達する偉業を達成するとは、この時、誰が予想したでしょうか?

 参照 : 昭和37年10月14日付の朝日新聞夕刊 

     文 / 高木圭介


 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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