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【今日は何の日?】10月18日=現代パチンコ生みの親・正村竹一が死去(1975年)/ 雑学ネタ帳
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48年前の1975(昭和50)年。現代パチンコの生みの親である正村竹一さん(正村商会会長、全国遊技業協同組合連合会相談役、日本遊技機工業組合相談役)が、入院先の名古屋大学付属病院(名古屋市昭和区)にて肺腫瘍のため死去しました。享年69。
1906(明治39)年、岐阜県に生まれた正村さんは、ガラス商やアイスキャンディ屋など、さまざまな商売を並行しつつ、36(昭和11)年に名古屋市内にパチンコ店をオープンしました。終戦直前の45(昭和20)年6月9日には、勤務中の軍需工場にて熱田空襲に遭い、全身に30数発もの弾片が突き刺さり、さらには肺にも4~5発が貫通するなど、瀕死の重傷を負うも奇跡的に生還しました。
そして迎えた戦後。48(昭和23)年から49(昭和24)にかけて、それまで子ども用の遊具に過ぎなかったパチンコに改良を加えます。正村さんが考案したのは、クギ数を減らして空間を設けることで、タマがオール10個、15個と出るような基本ゲージ(正村ゲージ)でした。
正村ゲージを採用したパチンコ機は「大人の娯楽」として爆発的に大ヒット。通常ならば、この正村ゲージに特許申請したり、実用新案登録したうえで利益を求めるところですが、正村さんはこれらを一切せずに、業界の自由に任せるとともに、遊技場関係者にも物心両面の援助を惜しまなかったことで、戦後のパチンコ業界を隆盛へと導いたのでした。
パチンコ台その物も、当時の手動式からやがて自動式へと変化。その他にも大きな進化を遂げていますが、正村さん考案の「正村ゲージ」は、現在主流のパチンコ台のクギ構成の原型となり、今もなお、生き続けています。
参照 : 昭和50年10月19日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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