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【今日は何の日?】10月24日=高さ550m!新宿で世界一の「正力タワー」起工式(1968年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
55年前の1968(昭和43)年。日本テレビが東京・新宿に建設を発表していた、世界一のテレビ塔「正力タワー」の起工式が行われました。
建設予定地は、日本テレビが日本初の「屋根付き野球場」の建設予定地として確保していた新宿区東大久保1丁目(現・新宿区新宿6丁目)の敷地。現在ならば、都営大江戸線や東京メトロ副都心線の東新宿駅のそば。コンフォリア新宿イーストサイドタワー(写真)が建つあたりです。
58(昭和33)年末に東京タワー(333メートル)が完成するまで、日本一高い電波塔は当時、日本テレビ本社(千代田区麹町)に隣接する154メートルのテレビ塔でした。東京タワーの完成後も、東京タワーからの電波送信をせず、自社のテレビ塔からの送信にこだわっていた日本テレビは、ついに悲願である世界一の電波塔建設に踏み切った形となります。
日本テレビの計画発表後、ほどなくしてNHKでも現在の代々木公園付近に600メートルのテレビ塔建設計画を発表。テレビ塔の高さは、そのまま両テレビ局による分かりやすいパワーゲームの様相を帯びていました。
起工式は建設予定地にて来賓や関係者300人出席のもと盛大に開催。祝詞(のりと)に続く「鍬入れの儀」では、まず日本テレビの正力松太郎会長が鎌を振るい、続いてタワーの設計、建設にあたる三菱グループの代表が鍬(くわ)、施工者代表の大成建設の社長が鋤(すき)を振るいました。
その後、数十発の花火、数百個の風船が飛び交ううちに、待機していたブルドーザー群が一斉に始動。世紀の大工事がスタートしたのでした。午後1時からは会場を紀尾井町のホテル・ニユーオータニへと移し、政・財・文化界や各国の大使や公使ら2,500人出席のもと華やかに起工披露宴が催されたのでした。
挨拶に立った正力会長は「私は今年、83歳になるが、80歳を過ぎると、みんな何もしなくなると言われている。私は東京に次々に高層建物ができて、テレビが見えなくなるという話を聞き、視聴者のみなさんに申し訳ないと、思い切った理想的なテレビ塔の建設に踏み切った」と世界一タワー建設の動機を高らかに説明し、拍手喝采を浴びていました。
そのまま順調に正力タワーが完成していれぱ、新宿や大久保地区の風景も現在とはまた違ったものとなっていたことでしょう。ところが、タワー建設の推進力そのものだった正力会長が翌69(昭和44)年10月に急死すると、たちまち建設計画も尻すぼみとなり、日本テレビに引っ張られるかのようにNHKの新タワー建設計画も「なかったこと」に...。
70(昭和45)年11月からは、日本テレビも他局と同じく、東京タワーからの電波送信に踏み切り、いつしか2つのタワー建設計画も歴史の闇へと埋もれたのでした。
参照 : 昭和43年10月25日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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