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【今日は何の日?】10月25日=はだしの英雄・アベベ死す(1973年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
ちょうど半世紀前の1973(昭和48)年。ローマ五輪(60年)、東京五輪(64年)と2大会連続でマラソン競技で優勝したアベベ・ビキラ選手(エチオピア)が入院先のアジスアベバ陸軍病院で死去。まだ41歳の若さでした。
この時点で詳しい死因は明かされませんでしたが、10月20日から危篤状態に陥り、脳出血が直接の死因となったそうです。
アベベ選手は60年9月のローマ五輪で2時間15分16秒2と驚異的な記録で優勝。それまで「黒人選手は長距離走に弱い」という定説を根底から覆すとともに、シューズを履かずに裸足でローマの街を駆け抜けたインパクトとともに一躍、「はだしの英雄」として世界中のヒーローとなりました。
4年後の東京五輪では、来日直前に急性盲腸炎の手術を受けたばかりとあって、苦戦が予想されたものの、今度はシューズを着用したうえで物凄いスピードで甲州街道を駆け抜け、ローマ五輪を上回る2時間12分11秒2という世界新記録樹立とともに優勝。2度目の五輪金メダルを獲得しました。帰国したアベベ選手は、この快挙とともにエチオピア皇帝親衛隊の軍曹から少尉へと昇進。報奨金にて自家用車(フォルクスワーゲン)を購入しました。
続くメキシコ五輪(68年)では3連覇の期待がかかるも、カカトの負傷で16km地点で棄権。これが最後のマラソン出場となりましたが、この頃からアベベ選手には不運が付きまとうこととなります。
69(昭和44)年、アジスアベバ北方付近を自慢のワーゲンでドライブ中、転覆事故に遭い、下半身不随に。ロンドンで手術を受けたものの、以降は車イスでの生活となってしまいました。
それでも不屈の闘志でリハビリに励んだアベベ選手は、69年、70年と当時は「パラリンピック」と呼称されていた「ストーク・マンデビル競技大会」の洋弓と卓球の2競技にエチオピア代表として出場。車イスの上で弓を引き、ラケットを振るアベベの姿は多くの人々を感動させたそうです。
そんなアベベ選手が最後に人々の前に姿を現したのは、72年のミュンヘン五輪開会式の招待席でした。車イスに乗りつつ、周囲に手を振る英雄・アベベ選手には多くの拍手が寄せられました。
参照 : 昭和48年10月26日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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