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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/10/25

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【今日は何の日?】10月25日=はだしの英雄・アベベ死す(1973年)/ 雑学ネタ帳

10月25日(アベベ).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

ちょうど半世紀前の1973(昭和48)年。ローマ五輪(60年)、東京五輪(64年)と2大会連続でマラソン競技で優勝したアベベ・ビキラ選手(エチオピア)が入院先のアジスアベバ陸軍病院で死去。まだ41歳の若さでした。

この時点で詳しい死因は明かされませんでしたが、10月20日から危篤状態に陥り、脳出血が直接の死因となったそうです。

アベベ選手は60年9月のローマ五輪2時間15分16秒2と驚異的な記録で優勝。それまで「黒人選手は長距離走に弱い」という定説を根底から覆すとともに、シューズを履かずに裸足でローマの街を駆け抜けたインパクトとともに一躍、「はだしの英雄」として世界中のヒーローとなりました。

4年後の東京五輪では、来日直前に急性盲腸炎の手術を受けたばかりとあって、苦戦が予想されたものの、今度はシューズを着用したうえで物凄いスピードで甲州街道を駆け抜け、ローマ五輪を上回る2時間12分11秒2という世界新記録樹立とともに優勝。2度目の五輪金メダルを獲得しました。帰国したアベベ選手は、この快挙とともにエチオピア皇帝親衛隊の軍曹から少尉へと昇進。報奨金にて自家用車(フォルクスワーゲン)を購入しました。

続くメキシコ五輪(68年)では3連覇の期待がかかるも、カカトの負傷で16km地点で棄権。これが最後のマラソン出場となりましたが、この頃からアベベ選手には不運が付きまとうこととなります。

69(昭和44)年、アジスアベバ北方付近を自慢のワーゲンでドライブ中、転覆事故に遭い、下半身不随に。ロンドンで手術を受けたものの、以降は車イスでの生活となってしまいました。

それでも不屈の闘志でリハビリに励んだアベベ選手は、69年、70年と当時は「パラリンピック」と呼称されていた「ストーク・マンデビル競技大会」の洋弓卓球の2競技にエチオピア代表として出場。車イスの上で弓を引き、ラケットを振るアベベの姿は多くの人々を感動させたそうです。

そんなアベベ選手が最後に人々の前に姿を現したのは、72年のミュンヘン五輪開会式の招待席でした。車イスに乗りつつ、周囲に手を振る英雄・アベベ選手には多くの拍手が寄せられました。
 
 参照 : 昭和48年10月26日付の毎日新聞朝刊

         文 / 高木圭介


 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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