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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/10/29

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【今日は何の日?】10月29日=大人気!鶴田ヤンガースが国体の1回戦で姿を消す(1956年)/ 雑学ネタ帳

10月29日(鶴田浩二).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

67年前の1956(昭和31)年。この年、11回目の開催となる国民体育大会(国体)は兵庫県で開催。各競技、熱戦が繰り広げられたそうですが、競技とはまた別な意味で注目を集めていたのは一般の部の軟式野球競技でした。

というのも、映画界の大スター・鶴田浩二さん(当時31歳)が用具の調達から遠征費、合宿費など、すべて自己負担しつつ、自ら結成した野球チーム「鶴田ヤンガース」が東京都代表として出場していたからです。

国体2日目となったこの日、鶴田ヤンガースは1回戦で徳島県代表の金星クラブと対戦。会場となった須磨海浜球場には野球というよりは、映画スターの鶴田さん見たさの観客が押し寄せました。とくに鶴田ヤンガースが控える三塁側のスタンドには10代少女による声援でいっぱいです。

さらに途中からは東宝の若手女優・青山京子さん(当時20歳=のちの小林旭夫人)が応援にかけつけたため、観客席の視線はもはや野球そっちのけ。対する徳島県の応援団も、負けじとお国自慢の阿波踊り、カネや太鼓で応援を盛り上げ、これに気を良くした金星クラブは燃えに燃えます。

監督にしてエースの鶴田さんは先発投手として登板しましたが、2回までに5得点を奪われてノックアウト。3回以降はリリーフ投手が2得点に抑えつつ善戦したものの、結局は1対7で敗退。大人気を集めた鶴田ヤンガースは1回戦で姿を消したのでした。
 
 参照 : 昭和31年10月30日付の朝日新聞朝刊

            文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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