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ニュース 今日は何の日?雑学 2023/12/17

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【今日は何の日?】12月17日=日本初のモノレールが開通(1957年)/ 雑学ネタ帳

上野動物園のモノレール(昭和44年).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

66年前の1957(昭和32)年。日本国内で初のモノレールとなる上野動物園の懸垂電車(正式名称は東京都交通局上野懸垂線)が午前9時に開通しました。

国内初とあり、まだモノレールにの存在が認識されていなかった当時の新聞記事では「地上約9mの逆J字型の塔にぶら下がりつつ走行するケーブルカーの一種」と説明されています。 
 
この時点で懸垂式モノレールが実用化されていたのは、わずかにドイツ(当時は西ドイツ)のみ。上野動物園の新モノレールは車体の全長9m、弾丸型の2両編成(定員は1両につき31人)。スピードは最高で時速45kmまで出ますが、安全運転のため当分は時速13kmにて「おサルの山」付近から、水上動物園の「カバ小屋」までの約331mの空中を走行していました。運賃は大人30円、子ども15円。運転士さんは男性で車掌さんは女性が担当。朝9時から夕方4時30分までの営業で10分間隔で1日に45往復運行していました。

この朝に行われた開通式では、振袖姿のチンパンジー・スージー嬢が運転士さんに花束を贈呈。初乗りのお客さんは開通を楽しみにしていた子どもたちが大多数となり、不忍池を見下ろす空中旅行のスリルに大歓声だったそうです。

しかし、始発から終点までわずか90秒という短い乗車時間には、やや物足りなさを感じていたとか。このことからも当時のモノレールは移動手段というより、遊園地のアトラクション的な存在だったことがわかりますね。

そんな上野動物園のモノレールでしたが、4代目の車両(2001年から使用)が老朽化したことを原因に運行の休止が発表。この12月27日をもって正式な廃止となります。

 参照 : 昭和32年12月17日付の朝日新聞夕刊

       文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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