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【今日は何の日?】1月17日=東京五輪のマラソンコースが甲州街道に再度、本決まり(1963年)/ 雑学ネタ帳
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61年前の1963(昭和38)年。午後6時から岸体育館(当時は東京・お茶の水)で行われた日本陸連の常務理事会にて、翌年(64年)10月開催の東京オリンピック・マラソン競技を甲州街道で実施することが、改めて確認されました。
マラソンコースの選定に関しては、前年(62年)の時点で、五輪組織委員会によって甲州街道で実施されることが正式決定。すでに国際陸連でも承認を得ていました。
ところが前年12月下旬、河野一郎建設大臣(河野太郎・現デジタル大臣の祖父)が「甲州街道よりも、東京~御殿場間の二級国道(※主に重要都市と一級国道とを連絡する道路のことを指す)が好ましい」と発言。
単に建設大臣によるツルの一声......というだけではありません。実は河野大臣、早稲田大学時代には競争部(陸上部)に所属し、第1回(1920年)から4回(1923年)まで、黎明期の箱根駅伝を走った名ランナーでもありました。とくに第3回と第4回は復路7区を走り、早大を優勝へと導いています。
東京~御殿場間コースとなると、オリンピックでも箱根駅伝に近いコースが使用されることとなります。そんな河野大臣の言葉だけに、陸連では1月に入ってからコースの再検討に入りました。建設省、東京都、警視庁と折衝したところ、あらためて「甲州街道以外にはない」と結論づけられたのでした。
この年の10月、五輪を1年後に控え、本番同様に朝日国際マラソンが「プレ五輪」として国立競技場と調布市の飛田給の間を甲州街道経由で往復するコースを使用して開催されました。
参照 : 昭和38年1月17日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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