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【今日は何の日?】1月18日=タイガーマスクがバラエティ番組で初めて素顔を公開(1984年)/ 雑学ネタ帳
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ちょうど40年前の1984(昭和59)年。前年(83年)8月に突如引退を宣言。多くの少年少女ファンを悲しませたプロレスラー・タイガーマスク(正体は佐山聡さん=当時26歳)がこの日、水曜夜9時からの人気バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日)にゲスト出演し、その素顔を初めてテレビで公開しました。
81年4月、アントニオ猪木さん率いる新日本プロレスに初登場したタイガーマスクは、運動神経の塊を感じさせる、それまでのプロレスの常識を覆すような素早い動き、本格的な蹴り技、日本式、欧州式、メキシコ式と世界中のプロレススタイルを高度にミックス、アレンジした革新的なスタイルで老若男女に大人気のスーパースターに。タイガーマスクが登場する金曜夜8時からのプロレス中継(テレビ朝日の『ワールドプロレスリング』)は常時、20%以上の視聴率が当たり前という、社会現象とも呼べる人気ぶりでした。
ところが83年8月、タイガーマスクは人気絶頂のまま唐突に引退を宣言。その理由はこの年、5月に原作者である梶原一騎氏が編集者への暴行容疑で逮捕された余波から、改名問題が浮上していたこと。所属する新日本プロレスがクーデター騒動に見舞われ、その複雑怪奇な人間関係に嫌気がさしていたこと。かねてから理想の新格闘技(現在の修斗)構築を考えていたことなど、さまざまな要因がからみ合っていたものでした。
63(昭和38)年に、日本国内にプロレスを根づかせた戦後最大のスーパースター・力道山を、刺傷事件からの急死で失ったプロレス界は、20年後にまたもや最大のスーパースターを突如失うという悲劇に見舞われたのでした。
83年秋にはスポーツ紙や週刊誌にて、その素顔が公開されていましたが、毎週テレビでタイガーマスクに夢中となっていた子どもたちは置き去りとされた形になったまま。そんなわけでプロレス中継と同じく、テレビ朝日系で放送されていた『欽どこ』にゲスト出演する運びとなった模様です。
この日のテレビ欄には「男一匹‼ 笑いぞめ...タイガーマスク」と謎の一文が記されており、その通りにお父さん(萩本欽一さん)、お母さん(真屋順子さん)、見栄晴(藤本正則さん)、かなえ(倉沢淳美さん)、たまえ(高橋真美さん)ら欽ちゃん一家がコタツを囲むお茶の間にタイガーマスクがやってきたのです。
見栄晴から「面白い顔してるから覆面してるんですか?」とたずねられたタイガーマスクは「フツーの顔ですけどね...」と笑いつつ、実にあっさりと虎のマスクを脱ぎ捨ててしまいます。欽ちゃんも「ずいぶん、若い方なんですね」とリアクション。その後は見栄晴にプロレス式のトレーニング法や基本技術などをレクチャーしつつ、2月に格闘技ジムをオープンさせること、3月に米国でリング復帰(※諸事情で中止に)することを宣言し、新しいマスクを初披露。まずは自分ではなく見栄晴にかぶらせるなどして笑いを取りつつ、ゲスト出演を終えました。
前年まで、リングで覆面をはがそうとする相手レスラーの反則攻撃を必死に耐えていたタイガーマスクが、バラエティ番組で実にあっさりと自ら覆面を脱いでしまった姿に、全国の少年少女たちは大きな衝撃を受けたのでした。
参照 : 昭和59年1月18日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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