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【今日は何の日?】1月19日=東洋の製薬王・星一が米ロサンゼルスで客死(1951年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
73年前の1951(昭和26)年。南米ペルーへの渡航を控え、米ロサンゼルスに滞在中だった星製薬の社長・星一(ほし・はじめ)さんが午前11時55分に肺炎のため死去しました。享年77。
星さんは1873(明治6)年、福島県出身。米コロンビア大学卒業後、南米ペルーで薬草園を開きつつ、星製薬を創業。それまで輸入品に頼っていた外科手術の必需品・モルヒネの国産化に成功するなど製薬業界、日本の医療に多大な功績を残した人物です。
一方で戦前より、衆参両院で議員としても活躍。星製薬の創立時に社内に立ち上げた教育部は、星薬業講習会 → 星製薬商業学校 → 星薬学専門学校と発展を続け、現在の星薬科大学(写真=東京都大田区荏原)の母体となり、星一さんが創立者となっています。
「東洋の製薬王」と謳われていた星さんは、自身が保有する土地返還にからむ開拓用務のためペルーに渡る目的で、いったんロサンゼルスに滞在している時に亡くなったのでした。
星さんの急死を受け、会社は当時、東大大学院にて農業化学を学んでいた長男・親一さん(当時24歳)が大学院を中退して引き継ぐことになりました。ところが、すでに傾きかけていた経営を立て直すことはできず、会社は経営のプロである大谷米太郎氏(ホテルニューオータニの創業者)へと譲渡されることとなります。
親一さんはその後、数年間の浪人生活を経て、57(昭和32)年に、「星新一」のペンネームでSF作家としてデビュー。のちに1,000作以上ものショートショート作品を発表し、現在もなお、愛読され続けるなど、その知名度はもはや説明不要でしょう。
父・一さんの急死という不幸がなければ、親一さんはそのまま大学院で農業化学を学び続け、製薬業界に身を投じていた可能性も高かかったため、日本を代表するSF作家・星新一が誕生していなかった可能性もあります。
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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