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ニュース 今日は何の日?雑学 2024/01/20

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【今日は何の日?】1月20日=都内最古の寄席「人形町末広」が姿を消す(1970年)/ 雑学ネタ帳

人形町・末広跡.jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

54年前の1970(昭和45)年。都内で最古の寄席として、多くの落語ファンに親しまれてきた「人形町 末広」(東京都中央区人形町3丁目)が、この日を最後に幕を閉じました。

開業は幕末の慶応3(1867)年。椅子はなく畳敷き。マイクを使用しない肉声のみの寄席として老舗の名物となっていましたが、時代の波には抗えず、経営不振となり、ついに幕を閉じることとなりました。 

現在の人形町交差点付近は、すっかりとオフィスビルが立ち並ぶ一角となつていますが、元吉原からほど近い立地なだけに、戦後になっても江戸情緒の残る街として親しまれてきました。しかし62(昭和37)年に営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線都営1号線(現・都営浅草線)が開通し、交通の便が良くなったことと反比例して客足は伸びず、前年(69年)に目の前を走る都電も廃止。さらに客足が遠のくことになってしまったのでした。

皮肉なことに廃業が発表されてからというもの、連日にわたり、押すな押すなの大盛況。この日も古くからの落語ファンや学生、サラリーマンらが詰めかけ、席内は畳の目も見えないほど。開演から1時間後には満員札止めとなるも、その後もお客さんが殺到し、入口では「あいすみませんが、満員でお入りになれません」と入場を断るのに一苦労だったそうです。

肝心な高座のほうも熱演が続きました。「この席には50年もお世話になって感無量」という春風亭柳橋(しゅんぷうてい・りゅうきょう=当時70歳)師匠は、古典の「三味線栗毛」をうかがった後も、約40年ぶりにおどりを踊ってみせる大サービス。

トリを飾った古今亭今輔(ここんてい・いますけ=当時71歳)師匠は「熱演続きで15分も時間が延びましたので、短い落語でお許しを」と断りつつ、得意のおばあさん物「留守居番」を、実に手っ取り早く演じたのでした。

トリの後は今輔師匠の粋な計らいで、異例にも席亭(寄席の経営者)の石原幸吉さん(当時75歳)が高座に上げられます。石原さんは「私で(末広は)三代目となりますが、先代から『三代目は家をつぶす』と言われ、私は麻雀、競馬などを一切やらず、何の楽しみもなしにやってまいりました。しかし地下鉄ができまして以来、近所の商店の方たちも郊外へ郊外へと行かれ......。結局、みなさまにご迷惑をかけないうちにと廃業することにしました」と感無量の挨拶。

最後はそんな石原さんを真ん中に、この夜のほとんどの出演者が集い、今輔師匠の音頭で客席と一緒に「シャン、シャン、シャン」と三本締め。今輔師匠はあらかじめ「お急ぎの方はお早くお帰りを」と断りを入れていましたが、約300人のお客さんは誰一人とし席を立たず、一糸も乱れぬ手拍子の音が席内に響き渡ったそうです。

そんな人形町末広の跡地には現在、読売インフォメーションサービスのビルが建っていますが、その入口の足元には「寄席 人形町末広跡」の石碑(写真)が埋め込まれています。 

 参照 : 昭和45年1月21日付の読売新聞朝刊

   文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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