Produce by マイナビ介護職 マイナビ介護職

介護の未来ラボ -根を張って未来へ伸びる-

ニュース 今日は何の日?雑学 2024/01/22

#BOXING#WBA#ジャッジ#スパイダー根本#パナマ#プロ・ボクシング#ボクシング#ロベルト・デュラン#今日は何の日?#副審#女性副審#後楽園ホール#昭和55年

【今日は何の日?】1月22日=国内初!プロ・ボクシングの世界戦に女性副審が登場(1980年)/ 雑学ネタ帳

後楽園ホール(ボクシング仕様).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

44年前の1980(昭和55)年。東京・後楽園ホールで行われたプロ・ボクシングの世界タイトルマッチで、日本国内で初めて女性の副審が採用されました。

その試合はWBA(世界ボクシング協会)世界フェザー級タイトルマッチとして行われた王者=エウセビオ・ペドロサ(パナマ)vs 挑戦者=スパイダー根本(草加有沢ジム)の一戦。

この試合は28年前に日本で初開催された世界タイトル戦(ダド・マリノvs白井義男=52年5月19日)から数えて、ちょうど150試合目。節目にあたる試合で初めて女性の副審が採用されたこととなります。

初の女性副審を務めたのはパナマ人のエンマ・ウルナガさん(当時33歳)。本業は警備会社の秘書で、私生活では3人の男の子のママでもあります。「小さい頃からボクシングが好きで、パナマの審判学校に入った」というエンマさんは、ライセンス取得後から123試合のジャッジを務めており、7年前には地元パナマでWBA世界ライト級王座を賭けて争われた「ロベルト・デュランvsヘクター・トンプソン」(73年6月2日)の試合をはじめ、これまで4度も世界戦のジャッジを経験していました。

当時の日本ボクシング界といえば、選手も関係者も徹底した「男の世界」でした。エンマさんを副審に選び日本へと送り込んだWBAのサンチェス会長は「日本の女性ボクシングファンも増えてきたし、ボクシング界の革命になると思って起用した」と語っています。

当日の試合は王者が余裕の試合運びとともに、15ラウンドを戦い抜いて3-0と大差の判定で勝利。ペドロサ選手が7度目の王座防衛に成功しました。ちなみに合計の採点はモーガン主審(米国)が147-140、吉田主審(日本)が147-145、そしてエンマ副審(パナマ)は148-138という点数をつけていたそうです。

 参照 : 昭和55年1月22日、1月23日付の読売新聞朝刊

     文 / 高木圭介

 

【日本全国電話・メール・WEB相談OK】介護職の無料転職サポートに申し込む

最新コラムなどをいち早くお届け!
公式LINEを友だちに追加する

お役立ち情報を配信中!
X(旧Twitter)公式アカウントをフォローする

介護職向けニュースを日々配信中!
公式Facebookをチェックする

SNSシェア

高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

高木圭介の執筆・監修記事