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ニュース 今日は何の日?雑学 2024/02/06

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【今日は何の日?】2月6日=東急電鉄が「新玉川線」の工事施工認可を申請(1960年)/ 雑学ネタ帳

新玉川線(開通時).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

64年前の1960(昭和35)年。東急電鉄が東京・渋谷(渋谷区)と二子玉川園(世田谷区)を結ぶ「新玉川線」の工事施工認可を運輸省に申請しました。

当時、この区間はほぼ国道246号上を走行する路面電車・東急玉川線(玉電)が運行されていましたが、世田谷区周辺の宅地開発や急激な人口増、さらに自動車の増加を受けて、最高2両編成の路面電車での輸送が困難になると予測されていました。すでに前年(59年)2月に運輸省から新線建設の免許を受け、具体的な工事プランも練られていたのです。

東急の計画によると、新玉川線は総長8.8km。渋谷から三軒茶屋までは、ほぼ現状の玉電沿いに線路を通し、一部を高架区間、一部を地下に走らせ、三軒茶屋から弦巻(世田谷区)付近までは玉電の北側を地上で経由し、用賀からは再び玉電沿いに一部を地下区間とし、終点の二子玉川園へと乗り入れるというモノでした。

電車は大型車両の6両連結。スピードは路面電車である玉電の倍で、渋谷~二子玉川園を16分で結び、3本に1本は渋谷駅にて営団地下鉄(現・東京メトロ)の銀座線と相互乗り入れ運転し、二子玉川園と浅草が1時間足らずで結ばれることとなりました。

中間駅は大橋池尻三軒茶屋上馬弦巻用賀瀬田の7駅。現在、同区間にある駒沢大学桜新町に駅建設の計画になく、池尻と大橋の中間をとって池尻大橋駅となっていることがわかります。

総工費は約70億円と見積もり、この年の夏に着工し、東京オリンピックが開催される64(昭和39)年の夏までの完成を目指すこととなりました。

この計画案は59(昭和34)年9月に発表されるや、沿線の地元民から強い反対運動が起きてしまいます。世田谷区議会でも2月5日に「東急案を廃して放射4号道路(国道246号)の下を駒沢まで地下化せよ」と議決されたばかりでした。東急側でもこの趣旨を汲み取り、地下化案と二本立てで計画を進める態度をとっており、この日に出された申請書にも「事情により計画変更の場合がある」と付記されることとなりました。

ところが東京五輪に前後して世田谷区周辺の人口増は、予想をはるかに上回ります。世田谷区内の地価高騰により地上区間の用地買収も困難となり、さらには多摩川を越えた川崎市の宅地開発人口増も勢いづき、新玉川線にはベッドタウンから都心への大動脈として、さらに大きな役割が期待されることとなります。

結局、渋谷から二子玉川園までは世田谷区案通り、ほぼ全線を地下路線とすることで解決。新玉川線の開通は64(昭和39)年どころか、77(昭和52)年と大幅に延期されることとなります。元の玉電は69(昭和44)年に廃止されており、その鉄道空白の8年間、沿線住民はバス輸送に頼ることとなりました。

地下路線で開通した新玉川線はその後、渋谷駅にて銀座線ではなく半蔵門線と相互乗り入れすることに。2000(平成12)年からは東急田園都市線へと名称が統合。「新玉川線」の名称は23年で消えたのでした。
 
 参照 : 昭和35年2月6日付の毎日新聞朝刊

           文 / 高木圭介

 

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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