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【今日は何の日?】2月15日=有楽町・日劇が48年の歴史に幕(1981年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
43年前の1981(昭和56)年。戦前より東京・有楽町駅前のランドマークであり続けた日本劇場(日劇)が、1月28日より開催されていた「サヨナラ日劇フェスティバル」の千秋楽公演をもって48年の歴史に幕を下ろしました。
1933(昭和8)年に完成した日劇は、戦争による空襲や占領軍による接収も免れ、半世紀近くにわたり国内エンターテイメント産業を象徴する存在であり続けました。しかし施設の老朽化と東京都による再開発事業のため、閉館するに至ったのです。
歴史ある日劇の見納めとあり、観客席は立ち見も含めて2,600人ものファンでビッシリ。午後6時7分に幕が開くと、日劇ダンシングチーム(NDT)名物の一糸乱れぬラインダンスとともにショーがスタート。このステージで数々の司会を務め、毒を吐きまくったトニー谷さんが突如飛び出し、舞台上に立ち尽くした後、「日劇さようなら、ありがとう!」と舞台にはうようにしてはステージにキス。
その後は灰田勝彦さん、昭和20年代に「ブギの女王」として一世を風靡した笠置シヅ子さんらが登場し、しんみりと思い出話で往時を振り返りました。
ひときわ大きな拍手で迎えられたのは山口淑子さん(当時、参議院議員)でした。李香蘭時代の41(昭和16)年に、日劇で歌謡ショーを開催した際、館内に入りきれない約10万人のお客さんが、日劇の周囲をグルリと7周半もしたという「日劇七回り半」伝説の持ち主でもあります。
「あれから40年ぶりに、この大ステージに立たせていただき感無量です」と挨拶はしたものの、挨拶だけでは観客席が納まらず、拍手にせき立てられるようにして作曲者である服部良一さんの指揮で「蘇州夜曲」を歌い出し、途中から長谷川一夫さんとのデュエットとなり場内は大歓声に包まれました。
また舞台監督として日劇契約第1号という意外な記録を持つ森繁久弥(のち久彌)さんも「あれやこれや話せばキリがない」と言っては宙を見上げ、何度となく歌謡ショーを開催してきた森進一さんも「僕ら芸人、歌手に夢と希望を与えてくれました」と舞台に花束を捧げました。
数えきれないほどの花束が舞台を埋め尽くし、まぶしいミラーボールの下で大量の紙吹雪が舞う中、最後は駆けつけたOGも含めたNDTダンサーたちも舞台へと上がり「蛍の光」の大合唱。夜8時5分、華やかなまま日劇最後の幕が下ろされました。
日劇の解体後、跡地には84(昭和59)年に有楽町マリオンが建設されています。
参照 : 昭和56年2月15日付の読売新聞夕刊
文 / 高木圭介
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