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ニュース 今日は何の日?雑学 2024/02/18

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【今日は何の日?】2月18日=アジア赤ちゃんオリンピックが開催(1958年)/ 雑学ネタ帳

02月18日/赤ちゃん五輪.jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

66年前の1958(昭和33)年。5月に東京で日本初開催されるアジア競技大会(当時はアジアオリンピックと呼称)に先駆けて、東京・日比谷の日活国際会館(跡地は現在「ザ・ペニンシュラ東京」に)にて「アジア赤ちゃんオリンピック」が開催されました。

このイベントはアジア各国と関係が深い日本航空(JAL)、中華航空(CAT)、パン・アメリカン航空(PAA)、インド航空(AII)、タイ航空(TAC)と5つの航空会社が主催し、日本米国インド中国タイ5か国の赤ちゃんを"腕くらべ"しようと企画されたものでした。

いったい何をもっての「腕くらべ」なのか?はやや謎ですが、競技は「ミルク飲み」「ハイハイ」「オシメ取り替え」の3種目によって競われることに。3人1組の優勝チームには大きなカップが贈呈されることになりました。

参加資格は生後6か月から1年6か月の赤ちゃんで、各航空会社が選抜した健康優良児ばかりが参加することに。審査員は昭和天皇の長女である東久邇成子さん(ひがしくに・しげこ=当時32歳)をはじめ、各国の大公使夫人が務めることになりました。

ところが......いざ審査が始まってみると、大勢の見物人やカメラのフラッシュにおびえた各国代表の赤ちゃんたちは、競技などそっちのけで大泣きするばかり。ワーワーと"泣き声コンテスト"と化す中で、ママたちが必死に押さえ込んではミルクを飲ませたりお尻をつねってはハイハイさせたりと悪戦苦闘。審査員の皆さんも苦笑いしつつつ困っていたそうです。

 参照 : 昭和33年1月8日、2月19日付の毎日新聞朝刊

           文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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