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【今日は何の日?】3月2日=米軍新兵が「盗んだ戦車」でベルリンの壁を突破 (1974年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
ちょうど半世紀前の1974(昭和49)年。この時期はやや雪解けムードになっていたものの、まだまだ米ソ両大国の精鋭部隊がにらみ合いを続けるドイツ・ベルリンにて西ドイツ駐留米軍の若い兵士が、こともあろうに盗んだ戦車で検問所を突破し、東ベルリンへと突入するという事件が起きました。
この兵士は軍隊勤務1年9か月の新兵(25歳)。この日の未明、西ベルリンのターナー基地にあるM60戦車(50トン)に乗り込み、閉鎖中のゲートを突破して一路、ベルリン市内へと飛び出しました。
一大事に気がついた西ベルリン警察と米軍のパトカー15台が追跡するのを尻目に、市街の一般道にキャタピラ音を轟かせて堂々たる行進。かの有名な「ベルリンの壁」の脇にある米軍チャーリー検問所へと到着しました。
そこで止まれば、まだ西側内のみの不祥事で済みましたが、東側の境界警備兵が慌てる暇もなく、戦車は遮蔽物を押しのけては東ベルリンへと突入したのです。
戦車は外国人の通行検問所のあるフリードリヒ監視塔のそばでいったん停止。クルリと方向転換して、今度は東ドイツとソ連の兵士が、西ベルリンへと行き来する車両整備を行うドレビッツ検問所へと突進。暴走の間中、砲塔や105ミリ機関砲を旋回しては東側の兵士を威嚇する始末。軍事的な大事件ですが、東側の兵士たちは呆気にとられ、何ら手を出そうとはしなかったそうです。
米ソ関係を揺るがしかねない一大事とあり、特別許可を得たうえで暴走新兵の直属の上司にあたる大尉が東側へとやってきて戦車に向かって説得。戦車を降りてきた新兵は手錠をかけられ、西ベルリンの基地へと連行。約70分にわたる"単独戦陣突破"はあえなく幕切れとなりました。
不祥事に対して、米軍のスポークスマンは「新兵の戦車を盗んだ動機はまだ不明だ。麻薬や酒の影響を受けていたという証拠はない」と語っていたそうです。
参照 : 昭和49年2月4日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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