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【今日は何の日?】3月16日=東京ゼロメートル地帯を守る「中川放水路」が完成(1963年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
61年前の1963(昭和38)年。"東京ゼロメートル地帯"と呼ばれる足立区、葛飾区、江戸川区と埼玉県南部を水害から守るため工事が急がれていた中川放水路(新中川)の完成式が江戸川区江戸川4丁目の同放水路今井水門(写真は現在の姿)わきで行われました。
葛飾区高砂付近で中川と分かれ、江戸川区江戸川4丁目で旧江戸川と合流する中川放水路(8.1km)の建設は戦前の1938(昭和13)年にスタート。きっかけは当時、墨東地区を襲い、甚大な被害を与えた洪水でした。
しかし第二次世界大戦の影響で45(昭和20)年4月に事業は中止。終戦から2年後(47年)に襲ったカスリーン台風による甚大な被害から、事業再開の声が高まり、49(昭和24)年に工事が再開します。戦後インフレによる急激な物価高騰や計画の一部変更を経て、ようやく完成に至ったのでした。
いざ洪水の際には中川の水を約1/3取り入れては流し、墨東地区の70平方km、100万人の住民を出水の危険から救うシステムです。その用地買収面積は32,818坪、川幅は123m、工事費用は約53億8,000万円と東京都の一大プロジェクトだったのです。
午前10時、春雨の中、サイレンを合図に東龍太郎都知事、松沢建設政務次官らがスイッチを入れると、今井水門の7つの電動ゲートがスルスルと開き、中川放水路に水が流れ出たのでした。
中川放水路は2年後(65年3月)に一級河川に指定され名称も「新中川」と改められています。
参照 : 昭和38年3月16日付毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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