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【今日は何の日?】4月6日=戦争で右腕失った元軍人が溺れた児童を救う・足立区(1964年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
ちょうど60年前の1964(昭和39)年。夕方4時ごろ、東京・足立区の花畑団地わきにあった幅50m、長さ100mもの大きな水たまりでパネル2枚を重ねたイカダで遊んでいた小学4年生男児(9歳)が、パネルごと水に沈み溺れてしまう事故が起きました。
水たまりといっても、田んぼのあとに自然と水がたまってできたもので、深さは約1.4mほど。宅地開発が盛んだった当時は、都心でもそこかしこに、こういった危険を伴う池や溜池が数多くあり、水難事故も珍しくはありませんでした。この場所には団地の建設工事に使うパネルがたくさん積み重ねてあり、近所に住む子どもたちの格好の遊び道具、遊び場となっていたのでした。事故当時も付近では30人近くの子どもが水たまりで遊んでいたそうです。
騒ぎを聞いて、ちようど近くに停車中だった残土運搬業の男性(38歳)と、ダンプカーで通りかかった男性(28歳)が、すぐに水たまりへと飛び込み、男児を救い上げ、救急車を待つまでもなく、ただちに自前のダンプで近くの病院へと運び込み、手当てを受けさせたうえで男児を自宅へと帰したそうです。
勇敢にも真っ先に水たまりへと飛び込んだ38歳男性は、なんと右腕がありませんでした。男性は45(昭和20)年8月、中国戦線で従軍中、不幸にも右腕を失ってしまったのです。しかも、いったんは戦死したと記録され、戸籍からも抹消されてしまうという珍しい経歴の持ち主でした。
しかし男性は小学6年の時に第9回明治神宮体育大会にて200m背泳で決勝まで進出するという水泳の腕前の持ち主。右腕を失っていたこの当時も、水泳にはかなり自信があったそうです。
一方、ダンプ運転手男性も少年時代から水泳を得意としており、「溺れた者を救うのは当然です」と謙遜。警視庁綾瀬署では近く、そんな勇敢な2人に警視総監賞を上申することにしました。
助けられた男児の父親(37歳)は「田んぼのあとに出来た水たまりだから、深いところがあるとは気づかず、あまり注意してなかつた。2人になんとお礼を申し上げて良いやら...」と、不幸中の幸いに安堵の表情だったそうです。
参照 : 昭和39年4月7日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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