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【今日は何の日?】4月28日=ボクシング世界王者のモハメド・アリが徴兵拒否(1967年)/ 雑学ネタ帳
![04月28日(徴兵拒否).jpg](https://kaigoshoku.mynavi.jp/contents/kaigonomirailab/news/2024/04/dcbf58d50642b88fee4a63bd34901e39721286d7.jpg)
《画像はイメージです》
57年前の1967(昭和42)年。プロボクシングの世界ヘビー級王者だったモハメド・アリ(カシアス・クレイ)が泥沼化するベトナム戦争に向けて、「ブラック・モスレムの宣教師である」という宗教上の理由から徴兵を拒否しました。
3月22日にゾラ・フォーリーを相手にKO勝ちで王座防衛したアリはこの日、米テキサス州ヒューストン徴兵局にて身体検査などを終えた後、陸軍入隊命令に対して「私の生活の90%は黒人回教の牧師としての生活だ。宗教上の良心から応じられない」と堂々と徴兵を拒否。
ベトナム戦争の最中、アリの徴兵拒否は米国社会に大きな衝撃を与え、アリには「ベトナムで戦う兵士の士気を下げる」などの理由から非難が殺到します。やがてはニューヨーク州のボクシングコミッションからライセンスを剥奪。WBA(世界ボクシング協会)からは王座を剥奪され、事実上、ボクシング界から追放されてしまいました。
裁判所から禁固5年、罰金1万ドル支払いの判決を受けたアリは、その後も裁判闘争で戦い続け、ようやくリングに復帰したのは70年10月のこと。アスリートとして最も充実していたであろう、25歳から28歳の3年7か月の期間、アリはリングで戦うことができませんでした。
「米国から1万マイルも離れたベトナムの有色人種に爆弾を落とし、小銃弾を浴びせるために軍服を着ろというのか。この国の南部の州では、黒人たちが犬のように扱われ、基本的人権さえ否定されているのに......」
「戦争に参加して死ぬことが平和と自由と正義と、そして2,100万の黒人たちの平等のために役立つなら明日にでも参加する」
など、アリの発言は全世界に大きな衝撃を与え、やがてベトナム反戦や黒人解放運動の象徴的存在となります。全盛期にリングで戦うことが許されなかったアリでしたが、こうした行動や言動とともに、ボクシングやスポーツの世界、さらには国境をも超えたカリスマになったのでした。
参照:昭和42年4月29日付の朝日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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