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【今日は何の日?】5月9日=東京・東十条で2時間の爆弾疎開(1982年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
42年前の1982(昭和57)年。終戦から37年後、東京都北区東十条の住宅街で発見された約1トンもの大型不発弾の処理作業が正午からスタート。現場を中心に半径約500m圏内に住む住民約1万5,000人が避難のため、集団疎開するかの如く、約2時間にわたって街から消えました。
現場は国鉄(現・JR東日本)京浜東北線の東十条駅を少し北上した辺り。車両は前面通行止め。すぐ近くを走る京浜東北線が午前9時から午後4時まで運転中止(赤羽~東十条間)。やや離れた国鉄赤羽線(赤羽~池袋間)、東北線、高崎線、上越線、信越線(大宮~上野間)は正午から午後2時にかけて運転が中止され、約10万5,700人の足に影響が出ました。現在、すぐそばを高架線で走る東北、上越新幹線はまだ開通していませんでした。
作業は午前9時からスタート。まずは高さ5mにわたり1万2,000個もの土のうを4m四方に積み上げます。11時39分に付近住民の避難が終わると、キャリア12年を誇る陸上自衛隊練馬駐屯地不発弾処理班の3隊員が土のうで覆われた壁の中へと入りました。
3隊員は全長1.82m、直径59cmの大型1トン爆弾と向き合います。弾底の信管アダプター2個を除去し、続いて起爆装置となる弾頭の信管を取り除いて12時53分に作業終了。爆弾は夕方、クレーンで吊り上げられ、トラックで埼玉の自衛隊弾薬貯蔵所へと運搬。5月10日にも八丈島沖の海中へと投棄されることとなりました。
住民たちは午前11時に16か所の一時集合場所へと集まり、ここから危険区域外の小中学校へと避難する段取りとなっていました。しかしこの日は日曜日。さらに真夏のような陽気だったため、あらかじめ遠くの行楽地へと"避難"した家族連れも多く、用意した1万5,000人分の避難場所は、どこもガラガラだったそうな。
参照 : 昭和57年5月10日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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