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【今日は何の日?】6月14日=日本大学が旧・両国国技館をお買い上げ(1958年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
66年前の1958(昭和33)年。前年(57年)夏から売りに出されていた旧・両国国技館(メモリアル・ホール)をめぐり、売り手側の日本相撲協会(当時・時津風理事長=元横綱・双葉山)と、買い手側の日本大学の交渉がこの日の夜にまとまり、近く正式契約することが決定。価格は2億4,000万円也でした。
1909(明治42)年に誕生した旧・両国国技館は現在のようにJR両国駅の北側ではなく、南側の京葉道路沿いにありました。建坪965坪(約319平方m)で、大鉄傘(だいてっさん)と呼ばれた当時の最新技術が導入された巨大な丸いドーム型の建物でした。
1917(大正6)年の火災、1923(大正12)年の関東大震災、そして1945(昭20)年の戦災に遭い、三たびの修復工事が行われ、戦後にも生き残っていたのです。
ところが45(昭和20)年12月に進駐軍に接収され、国技館ではなく「メモリアル・ホール」として利用されることに。その間、日本相撲協会では蔵前に新国技館を建設しており、52(昭和27)年に接収が解除された時には不要に。「国際スタジアム」として貸し出していたのです。
57(昭和32)年夏には借家人の国際スタジアム幹部が乗っ取りをはかる事件が、東京地検によって発覚し、再び相撲協会へと戻っており、財政再建を目指す相撲協会では旧国技館を売り出すことに決定。当初は国際スタジアム株式会社が買い取り、大室内競技場とする計画が進められていましたが、話し合いがつかず流れてしまいます。まさに、そのタイミングで日大側が国技館を総合体育館として買い取りたいと名乗りをあげ、話がまとまったのでした。
以降、旧国技館は「日大講堂」と呼ばれるようになりましたが、日大の行事や授業というよりは、戦後に大人気となっていたプロレスやボクシング興行、さまざまなイベントの会場としておなじみの存在となります。
しかし、75(昭和50)年の大阪・千日前デパート火災をきっかけに消防法が見直されることとなり、スプリンクラー施設のない施設は使用不可となります。日大側はスプリンクラー設置を検討しましたが、明治生まれの施設なだけに屋根をはじめ老朽化が激しく改修工事を断念。新消防法が施行された77(昭和52)年以降は、ほぼ使用されることもなくなり、83(昭和58)年に解体されました。
跡地には現在、複合ビル施設「両国シティコア」が建っています。
参照 : 昭和33年6月15日付の毎日新聞夕刊
文 / 高木圭介
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