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【今日は何の日?】6月30日=上野動物園名物「おサル電車」がラストラン(1974年)/ 雑学ネタ帳
![06月30日(おサル電車/昭和45年).jpg](https://kaigoshoku.mynavi.jp/contents/kaigonomirailab/news/2024/06/71d7df26a6a869100d68de1a9710855de2e95dbe.jpg)
《画像はイメージです》
ちょうど半世紀前の1974(昭和49)年。終戦間もない1948(昭和23)年9月23日に開通以来、26年間で約1,500万人もの子どもたちを乗せて走ってきた上野動物公園(東京・台東区)名物の「おサル電車」がこの日の運行をもって廃止されました。
おサル電車の誕生は戦時中、ゾウやライオンといった人気動物が「空襲などによって逃げ出したら危険」との理由で、次々に殺処分されたことに端を発しています。動物園は戦後に復活したものの、子どもたちが喜ぶような目玉動物がいなかったことから、企画物の一つとして考案されたものでした。
開通当初は6人乗り客車3両が1周35mほどを運行。乗客は子ども限定で運賃は3円。訓練を受けたカニクイザルのチーちゃんがハンドルのスイッチを入れると走行し、ハンドルを放すと止まるという仕掛けでした。本当に運転していたのです。
昭和30年代に入ったあたりから、サルによる運転は中止となり、係員が遠隔で操作するシステムへと変更。サルは運転士よろしく先頭車両に座るだけとなりました。62(昭和37)年の開園30周年を機に、線路の幅も含めてリニューアルされ、先頭車両も2年後に開通を控えた新幹線(0形)を模したデザインになり、子どもたちをワクワクさせました。
ところが73(昭和48)年に動物の愛護及び、管理に関する法律が制定され、おサル電車も「サルに多大な負担をかける」として問題視され、動物園側も廃止を決定。この日の午後3時30分からお別れ式「サヨナラおサル電車の集い」が、不忍池のほとりにあった動物園駅にて行われました。
26年の名残りを惜しむファンが約4,000人も集まる中、石内展行園長(53歳)は「昭和23年、荒れ果てた動物園に登場して以来、多くの子どもたちに夢を与えてくれた功績は大きい。しかし、サルの集中力は5~6分しかないのに、何時間もクサリで電車につないでおくのは、たしかに残酷といえる。本当に長い間、ご苦労さんでした」と挨拶。続いてナナ、マリ、メリーの3運転嬢にねぎらいのバナナがプレゼントされました。
その後、最後の50人を乗せたサヨナラ電車が出発。モールなどで飾られた花電車は「蛍の光」のメロディにのって静かに2周。線路をまたぐイソップ橋の上は、最後の運転ぶりをカメラに収めようとする親子連れで鈴なりとなりました。
動物園駅最後の駅長となった渡辺巧さん(38歳)は「おサル電車に6年半も付き合いました。サルも6歳になると10kg以上に成長、狂暴性を出すので、次々と(運転士を)変えていかねばならず、訓練が一苦労でした。これが最後かと思うと、やはり寂しいですね」としんみりしていたそうです。
参照 : 昭和49年7月1日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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