#セ・リーグ#ファール#プロ野球#今日は何の日?#大洋ホエールズ#川上哲治#川崎球場#平光清#平松政次、河埜和正#昭和49年(1974年)の出来事#末次利光#死球#牧野茂#王貞治#読売ジャイアンツ#退場処分#須藤豊
【今日は何の日?】7月9日=巨人・川上監督がプロ野球生活37年目にして初の退場処分(1974年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
ちょうど半世紀前の1974(昭和49)年。プロ野球、読売ジャイアンツを率いて前人未踏のV9を達成していた川上哲治監督(当時54歳)が、この日の夜、川崎球場で行われたナイター(大洋ホエールズ vs 読売ジャイアンツ)の途中、審判に暴行を働いたとして初の退場宣告を受けました。
川上監督の退場処分は選手、監督時代を含めた37年(※戦争中の中断期間も含め)に及ぶプロ野球生活で初。川上監督はこのシーズン終了と同時に監督を勇退したため、最初で最後の退場となりました。
この日の巨人は2回、王貞治選手の20号ホームランで先制。一死三塁の場面で打席に立った河埜和正選手に「カミソリシュート」でおなじみ、大洋の平松政次投手の初球が鈍い音を発してバックネットへとはね返りました。デッドボールと判断した河埜選手は一塁へと歩き始めましたが、主審の判定はファール。ボールはバットのグリップエンドに当たったと判断されたのでした。
これに怒ったのが、普段は冷静沈着な慎重居士として知られる川上監督です。三塁側ベンチから飛び出してくるや、牧野茂コーチともども平光清(ひらこう・きよし)主審に詰め寄ります。
川上監督は「他の審判に聞いてくれ!」と主張しましたが、平光主審は聞き入れず、約1分間の押し問答の末、ついに川上監督は平光主審の胸を2~3回ほど突いてしまいました。須藤豊コーチが慌てて割って入るも時すでに遅し。審判への暴行とみなされ、川上監督に「退場」が宣告されたのでした。
15分の中断をはさみ、巨人は牧野コーチが監督代行として采配を振り、退場初体験となった川上監督はロッカールームにてラジオで戦況を耳にしつつ、試合が3対3で終わると、駆け足で川崎球場をあとにしました。
一方、手がしびれてしまった河埜選手も末次利光選手と交代。医師からは「左ひじ関節脱臼」と診断されました。「球が当たっても痛いというなと教えられてきた。痛そうにしなかったから死球ではないというのでは、わけがわからない...」とロッカー室にて腕をさすっていたそうです。
参照 : 昭和49年7月10日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
SNSシェア
介護のみらいラボ編集部コメント
高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。