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ニュース 今日は何の日?雑学 2024/08/02

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【今日は何の日?】8月2日=カラーテレビの「二色受像機」がお披露目(1961年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

63年前の1961(昭和36)年。前年(60年)9月にカラーテレビの本放送がスタートしたものの、それを視聴するための「カラー放送受像機(いわゆるカラーテレビ)」が普及するのはまだまだ先のこと。5年後の66(昭和41)年の調査でも、わずかに0.3%という低い普及率でした。

とても庶民に手が届く価格ではなく、各メーカーは将来に向けて安価で製造できるカラーテレビの開発競争に入っていたこの時期、12万9,000円の低価格で販売できるカラーテレビが開発され、この日の夜、東京・神田の如水会館でお披露目されました。

その画期的なカラーテレビは通常の三原色)方式とは異なる「二色受像機」なるもの。シャドーマスク(画面を構成する網目金属板)は使わずに、赤と緑を受ける2本のブラウン管を正面と下面に直角に配置し、その中間に45度のハーフミラー(半透明鏡)を置いて、色を調整するという仕組みです。

この日の公開実験では、色のバランスと視覚に難点はあったものの「安いのが魅力!」と出席者にも好評だったそうです。

発売と同時に発明者、資金援助者などが集まり、新会社も発足されましたが、ここ最近はカラーテレビ開発をめぐる詐欺事件ニセモノ騒ぎなどが続発していたため、株式は一切公開せずに「こじんまり」をモットーに、生産も自社工場なしで、下請けオンリーにする方針。それで月産200台で当分の間、様子を見るという作戦だったそうです。 
 
 参照 : 昭和36年8月3日付の読売新聞朝刊

        文 / 高木圭介

    


 

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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