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【今日は何の日?】8月31日=早実高の王貞治投手が巨人軍入団を表明(1958年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
66年前の1958(昭和33)年。この夏、甲子園出場こそ逃していたものの、超高校級の逸材として卒業後の進路に注目が集まっていた早稲田実業高校の王貞治投手(当時18歳)が夜9時、東京・墨田区業平橋の自宅にて、読売ジャイアンツの宇野庄治代表立ち合いのもと「卒業後、巨人軍に入団する」と意思表示しました。
王投手は前年春の選抜高校野球選手権で1年生ながら優勝投手となり、一躍注目の的となっていましたが、この年は東京都予選の決勝で明治高に敗れ、夏の甲子園行きを逃していました。しかし投打ともに高校のトップレベルにあると目され、その進路には注目が集まり続けていました。
当初は大学進学が有力視されていましたが、高校最後の夏に甲子園出場が断たれて以降はプロ入りに傾き始め、早くも巨人、阪神、中日、大洋、阪急、大毎、近鉄などの各球団が熾烈な勧誘競争を始めていました。
王投手自身が「セ・リーグで優勝できるチーム」と意思表示していたことから、入団は巨人か阪神かに絞られていましたが、この日の午後3時30分から横浜市内の親類宅で王投手を中心に親族会議が行われた結果、巨人軍入りが確定。正式契約は11月上旬の運びとなりました。
王投手は「私は進学するなら早大、プロなら巨人と以前から考えていた。少年時代から川上(哲治)さんのファンだったが、一緒にプレーできるのは本当に嬉しい。契約を11月にしていただいたのは、3年間お世話になった早実にご恩返しをする意味で、新チームの練習のお手伝いがしたかったからです」と語りました。
大型ルーキーを迎え入れることになった巨人の水原円裕(茂)監督は「王君は投打とも、優れたプレーヤーなので非常に心強い。うちの投手力は王君の加入でさらに充実する。われわれは王君の優れた素質をフルに発揮させるために努力する」とコメント。まだ"二刀流"なんて発想はなかった当時、王選手の才能を、投手と打者のどちらで発揮させるか?は決めかねていた模様です。
翌日の新聞で、「まさに慧眼!」ともいえる論説を述べていたのが、選手、監督として巨人軍OBであり、国内プロ野球初の三冠王に輝きつつ、当時は読売新聞の運動部記者として健筆を奮っていた中島治康さんでした。
中島さんは投手としてプロで通用するかどうか?には疑問を呈しつつ「現状では彼(王選手)の魅力はむしろ、天分を最高度にいかしたその打撃であろう。彼の打撃で特に秀でたところは、左右いずれの投手に直面しても区別なく、理想的なミートで巧みにポイントをつかむ"目と勘"である。そして重心のかけ方に伴うリストの柔軟性と強力さは全く無理がなく、実に素晴らしいというほかはない。いまやプロ野球界は強好打者・長嶋(茂雄=前年に巨人軍に入団)ブームに明け暮れているが、王が"第二の左打ち長嶋"となるのは絶対必至だ」なる一文を寄せています。
参照 : 昭和33年9月1日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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