Produce by マイナビ介護職 マイナビ介護職

介護の未来ラボ -根を張って未来へ伸びる-

ニュース 今日は何の日?雑学 2024/09/23

#9月23日#両国国技館#今日は何の日?#台東区#墨田区#多賀竜#大相撲#大相撲九月場所#平幕優勝#昭和59年#東京都#東京都下水処理場#横網#蔵前#蔵前国技館

【今日は何の日?】9月23日=蔵前国技館で最後の大相撲 ~ 優勝は平幕の多賀竜(1984年)/ 雑学ネタ帳

09月23日(多賀竜).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

ちょうど40年前の1984(昭和59)年。34年間にわたって大相撲の聖地であり続けた蔵前国技館(東京都台東区蔵前)が、この日の九月場所千秋楽をもって34年の歴史に幕を下ろしました。

終戦後、占領軍によって旧両国国技館(接収解除後は日大講堂に)が接収されてしまったため、蔵前国技館は丸太組みの仮設建物として50(昭和25)年の初場所から大相撲を開催し続けてきました。

蔵前国技館は大相撲だけでなく、プロレスボクシング音楽コンサートなどの大会場としてもおなじみで、フィクションの世界でも劇画『あしたのジョー』の劇中で、主人公の矢吹丈金竜飛(韓国)を破って東洋バンタム級王者となった会場としても知られています。

そんな蔵前国技館最後の場所で優勝し賜杯を手にしたのは、常連の横綱でも大関でもなく何と平幕(西前頭12枚目)の多賀竜(当時26歳=鏡山部屋)というサプライズ結末だったこともあり、現在もなお多くの人々の記憶に刻まれています。
 
この場所の番付では横綱が3名北の湖千代の富士隆の里)、大関が4名若島津北天祐朝潮琴風)。のちの両国国技館時代に横綱を張る大乃国は関脇、保志(のちの北勝海=現・八角理事長)と旭富士は小結、北尾(のち双羽黒)はまだ前頭8枚目でした。

そんな世代交代前夜、圧倒的な体重(215kg)と強さで旋風を巻き起こしていたのはハワイからの黒船・小錦(当時前頭6枚目)でした。横綱・北の湖が3日目から欠場に入り、千代の富士も隆の里も本調子ではない中、小錦旋風に隠れるように幕内下位で勝ち星を積み重ねていた多賀竜は、あれよあれよと優勝戦線に勝ち残り、千秋楽で自身は大関・朝潮に敗れて13勝2敗に終わったものの、小錦が大関・琴風に敗れたことで12勝3敗に終わり、多賀竜の初優勝が決まったのでした。

蔵前最後の場所でのドラマチックな結末に場内は大盛り上がり。そして多賀竜自身よりも、審判部長として優勝旗を手渡すことになった師匠の鏡山親方(元横綱・柏戸)は、苦労人である愛弟子の快挙に涙で顔がクシャクシャとなっている姿も人々に感動を与えたのでした。

表彰式後の午後5時45分からは日本相撲協会の役員、幕内全力士が土俵に集まり、お別れセレモニーを実施。場内には58(昭和33)年初場所14日目、当時の大関・若乃花(当時・二子山理事)が優勝と横綱を賭けて横綱・栃錦(当時・春日野理事長)に挑み、2度の水入りの末、若乃花が小手投げで勝利した大一番の録音放送が流されました。

その後は日大吹奏楽研究会による演奏の「蛍の光」が流れる中、徐々に照明が落とされ、観客に配布された蛍光液の入ったペンライト約1万2,000本が揺れる中、34年の歴史を終え、翌85(昭和60)年の初場所より、大相撲の聖地は国鉄(現・JR東日本)両国駅前に新設された両国国技館(東京都墨田区横網1丁目)へと移ります。

蔵前国技館の跡地は現在、東京都下水処理場公園として整備。オールドファンからすると、いまだ「新国技館」と認識される現・両国国技館ですが、すでに蔵前時代を軽く上回る39年の歴史を刻んでおり、2025年には創設40年を迎えることになります。

 参照 : 昭和59年9月24日付の毎日新聞朝刊 

   文 / 高木圭介

 

スピード転職情報収集だけでもOK

マイナビ介護職は、あなたの転職をしっかりサポート!介護職専任のキャリアアドバイザーがカウンセリングを行います。

はじめての転職で何から進めるべきかわからない、求人だけ見てみたい、そもそも転職活動をするか迷っている場合でも、キャリアアドバイザーがアドバイスいたします。

完全無料:アドバイザーに相談する

最新コラムなどをいち早くお届け!
公式LINEを友だちに追加する

お役立ち情報を配信中!
X(旧Twitter)公式アカウントをフォローする

介護職向けニュースを日々配信中!
公式Facebookをチェックする

SNSシェア

高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

高木圭介の執筆・監修記事