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【今日は何の日?】10月26日=古今亭朝次が「笑点」の新メンバーに(1980年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
44年前の1980(昭和55)年。この日に放送の『笑点』(日本テレビ)より、古今亭朝次さん(ここんてい・ちょうじ=現・七代目桂才賀)が大喜利の新メンバーに加入しました。
それまでキザなキャラクターと、番組名物ともなっていた桂歌丸さんとの罵倒合戦などで人気だった三遊亭小円遊さんが山形公演中に倒れ、10月5日に43歳の若さで急死。そこで月に1回行われていた「若手大喜利」から、まだ二ツ目だった朝次さん(当時30歳)が昇格する形となったのです。
当時の笑点メンバーは司会が三波伸介さん、大喜利メンバーは桂歌丸さん、林家木久蔵(現・木久扇)さん、林家こん平さん、三遊亭楽太郎(のちに六代目円楽)さん、林家九蔵(現・三遊亭好楽)さん、座布団運びは松崎真さんでした。
当時のメンバーのキャラクター付けは、歌丸さんが「ご隠居」、木久蔵さんが「与太郎」、こん平さんが「田舎っぺ」という感じでしたが、朝次さんは角刈りでコワモテ、ただ者ではない目つきの鋭さから「やくざの鉄砲玉」と設定された模様です。
その鋭い目つきも、キャリアを聞けば納得。朝次さんは海上自衛隊の舞鶴練習隊にて1任期3年を勤め上げ、海士長となって除隊後に落語家に入門したという超異色キャリアの持ち主だったのです。
というのも、東京生まれの朝次さんは高校卒業後、落語家になるべく、九代目桂文治さんの門を叩くも、文治さんが入門を断る口実として「自衛隊で苦労してきたら許す」と言ってしまい、その言葉を忠実に守ったうえで、除隊後の72(昭和47)年に入門を果たしたのでした。
77(昭和52)年に師匠・文治さんが亡くなった際、葬儀で朝次さんが受付係を務めていたところ、本職のコワモテ男性が近づいてきて「どちらの親分さんのお葬式で?」と聞かれたなんてエピソードも残っています。82(昭和57)年にはそのコワモテぶりを買われ、映画『鬼龍院花子の生涯』(五社英雄監督)に鬼龍院組の手下役で出演しています。
85(昭和60)に真打ち昇進後は七代目桂才賀を襲名。笑点の番組内では少々フテくされつつ、がらっぱちでキザなコワモテキャラとして人気者となり、88(昭和63)年3月まで出演し続けました。
三波伸介さんが司会の頃は、毎度のように「極悪人」「ムショ暮らし」といじられ続けていた朝次さんですが、実生活では全国の刑務所や拘置所、少年院への慰問活動を積極的に行っており、その慰問回数は軽く1,000回を超えているそうです。
参照 : 昭和55年10月26日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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