Produce by マイナビ介護職 マイナビ介護職

介護の未来ラボ -根を張って未来へ伸びる-

ニュース 今日は何の日?雑学 2024/10/28

#10月28日#MLB#シンシナティ・レッズ#チャーリー・ハッスル#ピート・ローズ#今日は何の日?#日米野球#昭和53年#永久追放#西武ライオンズ#野球賭博

【今日は何の日?】10月28日=ピート・ローズが西武ライオンズ入団を否定(1978年)/ 雑学ネタ帳

10月28日(ピート・ローズ).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

46年前の1978(昭和53)年。第11回日米野球大会出場のため来日中だった米メジャーリーグのピート・ローズ三塁手(当時37歳=シンシナティ・レッズ)が、後楽園球場で行われた第1戦(vs読売ジャイアンツ)終了後、翌79年シーズンから発進する西武ライオンズから入団要請があった事実を明かしつつ、日本でプレーする意思がないことを付け加えました。

当時の国内プロ野球事情は、九州・福岡に本拠地を置くクラウンライターライオンズの親会社である廣済堂クラウンが球団売却を発表。すぐに西武鉄道グループ国土計画(現・コクド)が球団を買い取り、埼玉・所沢に本拠地を移したうえでの「西武ライオンズ」誕生が発表されます。資金力豊富な西武グループのプロ野球参入は、プロ球界に大きな変革をもたらすと噂されていた時期です。

実際に西武は、野村克也捕手(ロッテ)や田淵幸一捕手(阪神)といった国内の大物選手を獲得。米国に野球留学中だった江川卓投手の獲得にも名乗りをあげつつ、水面下では米メジャーリーグを代表する超大物、ピート・ローズ選手獲得にも動いていたのでした。

この時期、レッズ退団を匂わせていたローズ選手は「来日3日前に、西武から電話で入団要請があった。条件はヨダレが出るほど良かったが(※推定100万ドル)、それ以前にドジャース、ヤンキースなど米メジャーの9球団を移籍希望先として発表しているので日本でプレーする気はない」とハッキリ述べたのでした。そして帰国後にフィラデルフィア・フィリーズへの移籍が発表されたのでした。

打っても投げても走っても常に全力プレー。若手時代より「チャーリー・ハッスル(ハッスル坊や)」の愛称で親しまれたローズ選手はさる9月30日に83歳で死去。しかし、レッズ監督在任中の89年に、野球賭博を原因にMLBを永久追放されたことにより、MLB最多出場(3,562)、通算安打記録(4256)、通算打数(14,053)、通算打席数(15,861)などなど、現在も歴代1位を記録し続ける偉業に対して、その晩年は淋しいものでした。

歴史にifは禁物ですが、ついつい「あの時、ピート・ローズが西武に移籍していたら~」と考えてしまう野球ファンも多いことでしょう。
 
 参照 : 昭和53年10月29日付の読売新聞朝刊

        文 / 高木圭介

 

スピード転職情報収集だけでもOK

マイナビ介護職は、あなたの転職をしっかりサポート!介護職専任のキャリアアドバイザーがカウンセリングを行います。

はじめての転職で何から進めるべきかわからない、求人だけ見てみたい、そもそも転職活動をするか迷っている場合でも、キャリアアドバイザーがアドバイスいたします。

完全無料:アドバイザーに相談する

最新コラムなどをいち早くお届け!
公式LINEを友だちに追加する

お役立ち情報を配信中!
X(旧Twitter)公式アカウントをフォローする

介護職向けニュースを日々配信中!
公式Facebookをチェックする

SNSシェア

高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

高木圭介の執筆・監修記事