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【今日は何の日?】10月28日=ピート・ローズが西武ライオンズ入団を否定(1978年)/ 雑学ネタ帳
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46年前の1978(昭和53)年。第11回日米野球大会出場のため来日中だった米メジャーリーグのピート・ローズ三塁手(当時37歳=シンシナティ・レッズ)が、後楽園球場で行われた第1戦(vs読売ジャイアンツ)終了後、翌79年シーズンから発進する西武ライオンズから入団要請があった事実を明かしつつ、日本でプレーする意思がないことを付け加えました。
当時の国内プロ野球事情は、九州・福岡に本拠地を置くクラウンライターライオンズの親会社である廣済堂クラウンが球団売却を発表。すぐに西武鉄道グループの国土計画(現・コクド)が球団を買い取り、埼玉・所沢に本拠地を移したうえでの「西武ライオンズ」誕生が発表されます。資金力豊富な西武グループのプロ野球参入は、プロ球界に大きな変革をもたらすと噂されていた時期です。
実際に西武は、野村克也捕手(ロッテ)や田淵幸一捕手(阪神)といった国内の大物選手を獲得。米国に野球留学中だった江川卓投手の獲得にも名乗りをあげつつ、水面下では米メジャーリーグを代表する超大物、ピート・ローズ選手獲得にも動いていたのでした。
この時期、レッズ退団を匂わせていたローズ選手は「来日3日前に、西武から電話で入団要請があった。条件はヨダレが出るほど良かったが(※推定100万ドル)、それ以前にドジャース、ヤンキースなど米メジャーの9球団を移籍希望先として発表しているので日本でプレーする気はない」とハッキリ述べたのでした。そして帰国後にフィラデルフィア・フィリーズへの移籍が発表されたのでした。
打っても投げても走っても常に全力プレー。若手時代より「チャーリー・ハッスル(ハッスル坊や)」の愛称で親しまれたローズ選手はさる9月30日に83歳で死去。しかし、レッズ監督在任中の89年に、野球賭博を原因にMLBを永久追放されたことにより、MLB最多出場(3,562)、通算安打記録(4256)、通算打数(14,053)、通算打席数(15,861)などなど、現在も歴代1位を記録し続ける偉業に対して、その晩年は淋しいものでした。
歴史にifは禁物ですが、ついつい「あの時、ピート・ローズが西武に移籍していたら~」と考えてしまう野球ファンも多いことでしょう。
参照 : 昭和53年10月29日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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