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ニュース 今日は何の日?雑学 2024/11/29

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【今日は何の日?】11月29日=隅田川の勝鬨橋が最後の開橋(1970年)/ 雑学ネタ帳

11月29日(勝鬨橋).jpg

 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

54年前の1970(昭和45)年。交通ラッシュにより、久しく"開かずの橋"となっていた東京・隅田川にかかる勝鬨橋が、この日の朝7時に約1年半ぶりに開橋しました。

1940(昭和15)年1月、築地月島を結んで架けられた勝鬨橋は、大型船が通行できるよう、橋の中央が電動式で開くように作られ、「東洋一の可動橋」と謳われていました。1日5回ほど開閉される間は、歩行者や自転車、バイクや自動車、都電といった橋上の往来はいったんストップせざるを得ませんが、隅田川の風物詩として人気を呼んでいました。

しかし戦後になると、橋上を通る自動車の交通量は激増。その反対に隅田川を航行する船は減ってしまい、この当時はほぼ閉まりっ放しの状態でした。

この日は前年(69年)6月10日に実施されて以来の開橋点検テスト。スルスルと40度の角度まで橋が開くと、両岸に詰めかけていた家族連れや写真マニアから「やったやった!」の大歓声があがります。

10分後にはすぐ橋は閉じましたが、このわずか10分の間で、早くも橋の両側には200mにも及ぶ自動車の列ができていたとか。「開かずの橋」となったのも、致し方ないことだったのかもしれません。 

勝鬨橋は「これが最後」とアナウンスされて開橋されることはなく、結局、この日の開橋点検テストが最後の開橋となり、10年後の80(昭和55)年には、開閉するための電力供給もストップされ、現在に至っています。

 参照 : 昭和45年11月30日付の毎日新聞朝刊

        文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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