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ニュース 今日は何の日?雑学 2024/12/13

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【今日は何の日?】12月13日=大人気!ベン・ケーシーが来日する(1963年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

61年前の1963(昭和38)年。大人気の米国産メディカルドラマベン・ケーシー』に主演し、女性を中心に大人気となっていた俳優、ビンセント・エドワーズさん(当時35歳)が、夕方5時25分着のパンナム航空機で来日しました。

日本国内では62(昭和37)年5月から64(昭和39)年9月までTBS系で放送され、ビンセントさん演じる正義感溢れる若き脳神経外科医の姿は、たちまち大人気となり、この年1月11日放送回では、なんと50.6%もの高視聴率を記録。デパートではケーシーの着る手術着をモチーフとした「ケーシー・ブラウス」が販売され、おもちゃ屋では「ベン・ケーシーセット」を売り出し、子どもたちがお医者さんごっこに夢中といった具合で、社会現象ともいえる人気だったのです。

現在も外科系の医師が着用する短いセパレート型の診療衣が「ケーシー」と呼ばれるのは、このドラマの影響です。

出演映画『勝利者』の宣伝もかねての来日となったビンセントさんは、さっそく12月16日、TBSの昼番組『婦人ニュース』に出演。この日は「ようこそ ベン・ケーシー」と題され、大々的に特集される中、その生い立ちやドラマ撮影の苦労話などを語りました。

そもそも、米国内で『ベン・ケーシー』が誕生したきっかけは、ケネディ政権の誕生とほぼ同時に、米連邦通信委員会(FCC)の委員長に就任したニュートン・ミノー氏が、エロとグロ、西部劇やギャング物でバイオレンスなシーンが目立つテレビ番組が多いことを問題視し、「米国のテレビは一望の荒野である」と強く批判したことがきっかけでした。

そんな「ミノー勧告」によって誕生したのが、それらの要素を排した良質なメディカルドラマ『ベン・ケーシー」だったのです。ちなみにミノー氏はシカゴで有名法律事務所を主宰しており、そこに勤務して出会い、結婚に至ったのが、のちのバラク・オバマ元大統領とミシェル夫人です。豆知識。

米テレビ界から、バイオレンスとグロ、そしてエロ要素を排斥する一助となったベン・ケーシーでしたが、遠い日本では"エロ医事漫談"の第一人者であるケーシー高峰さんの芸名の由来として、長く親しまれ続けることとなりました。グラッチェ!
 
 参照 : 昭和38年12月12日付の毎日新聞朝刊、12月16日付の毎日新聞朝刊

        文 / 高木圭介

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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