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【今日は何の日?】1月13日=新国技館がこけら落とし ~ 大相撲が39年ぶりに両国に帰る(1985年)/ 雑学ネタ帳

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ちょうど40年前の1985(昭和60)年。国鉄の旧両国貨物駅跡地(東京・墨田区横網1丁目)に建設中だった新・両国国技館が完成。この日の大相撲初場所初日がこけら落としとなりました。
両国駅の南側にあった旧国技館が終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、46(昭和21)年11月場所を最後に大相撲の興行は両国から撤退。49(昭和24年)に新設された蔵前国技館(東京・台東区蔵前2丁目)が使用され続けたため、39年ぶりに大相撲が両国へと帰ってきた形となります。
国鉄(現・JR東日本)の両国駅も2億5,000万円をかけて化粧直しされ、82(昭和57)年11月以来「開かずの入口」となっていた中央改札口のシャッターが開けられました。
新国技館には当日朝9時30分から発売される当日券を求めて、前夜や早朝から700人が並ぶも、当日券はわずか400枚のため、わずか30分にて売り切れ。買えなかった人たちが職員に詰め寄るなど一騒動に...。
新国技館で記念すべき「初勝ち名乗り」を受けたのは、この日が初土俵となる時津風部屋の序ノ口・喜多(16歳)で、陸奥部屋の星泉を8秒でうっちゃり、両国初白星力士となりました。
この日は天覧相撲のため、午後3時半過ぎには大の相撲好きとしても知られた昭和天皇(当時83歳)が到着。貴賓室にて春日野理事長(44代横綱・栃錦)に「新国技館ができておめでとう」とお言葉をかけられた後に、正面のロイヤルボックスにて観戦。
肝心な幕内の取組は、2横綱1大関に土がつく波乱の展開になります。この場所、全勝優勝を果たす横綱・千代の富士こそ新小結の北尾(のちの60代横綱・双羽黒)を一蹴しましたが、休場明けの横綱・隆の里は保志(のちの61代横綱・北勝海=現・理事長)に、北の湖も旭富士(のちの63代横綱)に完敗。大関・若島津も小錦の巨体に圧倒され突き落としで敗れるなど、ヤングパワーの台頭と世代交代を感じさせる1日となりました。
大横綱として一時代を築いた北の湖(当時31歳=のちに理事長)は負傷しつつも、横綱の責任として新国技館のこけら落としに出場を決めたものの、初日の旭富士、2日目の多賀竜と連敗して引退を発表。新たな両国国技館で白星を飾ることはありませんでした。
参照 : 昭和60年1月14日付の毎日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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