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ニュース 今日は何の日?雑学 2025/02/11

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【今日は何の日?】2月11日=「冒険ダン吉」の作者・島田啓三が死去(1973年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

52年前の1973(昭和48)年。戦前の人気漫画『冒険ダン吉』の作者・島田啓三さんが午後2時、脳血栓のため東京・練馬区桜台の自宅で死去しました。享年72

島田さんは東京・本所の生まれ。米屋の奉公に出されていた少年時代に、漫画好きが高じて、萬朝報(よろずちょうほう=1940年まで存在した日刊新聞)の投稿漫画に入選。31(昭和6)年に新聞連載漫画『コロコロボール』で児童漫画デビューし、33(昭和8)年から少年倶楽部(大日本雄弁会講談社=現在の講談社)誌上で『冒険ダン吉』の連載をスタートさせました。

南洋の島へと流れ着いた日本の少年・ダン吉が、人間の言葉を話せる黒ネズミのカリ公とともに、大活躍の末、島の王となる冒険物語が大人気となり、同誌で連載する『のらくろ』(田河水泡作)と人気を二分。ともに戦前を代表する人気漫画となりました。

戦後は東京児童漫画会の会長を務めつつ、『ヌウボウの冒険』などのユーモア漫画を描き続けていましたが、エログロ漫画が台頭する流れに嫌気がさしてしまい63(昭和38)年を最後に断筆してしまいました。

島田さんは「今の漫画は人を切ったり、体にポンポンと穴をあけるなど、どぎついのが流行しているが、私はそういうのは先天的に嫌いで...」と、かねて眉をひそめていたとか。

冒険ダン吉が"過去の作品"となって以降も「あいつには随分、稼がせてもらったから」と、自宅にある神棚を茶目っ気たっぷりに"ダン吉神社"と名付けていたそうです。

 参照 : 昭和48年2月12日付の読売新聞朝刊

            文 / 高木圭介


 

 

 


 

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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