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【今日は何の日?】3月20日="ライオン丸"ことシピンが読売ジャイアンツ入団(1978年)/ 雑学ネタ帳

《画像はイメージです》
47年前の1978(昭和53)年。プロ野球、大洋ホエールズで6年間にわたり活躍した強打者のジョン・シピン選手(当時31歳)が、この日、東京・大手町の読売新聞社内で読売ジャイアンツ入団を発表しました。
シピン選手は72(昭和47)年に大洋に入団。ロングヒッターとして活躍し、73~76年と4年連続でセ・リーグの打撃ベストテン入り。とくに75(昭和50)年は34本ものホームランを量産し、72~73年には2年連続で二塁手としてダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞した名選手でした。
ところが78年シーズンの開幕を前に、大洋の別当薫監督の構想から外されトレード要員に。腰に故障を抱えているとの疑いから、なかなか移籍先が決まらずにいました。横浜市鶴見区の片山記念病院にて精密検査を受けたところ、「脊椎分離症の症状はあるが、プレーに支障はない」と診断され、すぐに右打ちの野手不足に悩まされていた巨人(当時・長嶋茂雄監督)が獲得に乗り出し、金銭トレードが成立しました。
さて、シピン選手といえばヒッピーと見まごうほどのワイルドな長髪とヒゲこそがトレードマーク。大洋に入団した当時、子どもたちに大人気だった特撮ヒーローになぞらえて「ライオン丸」のニックネームで親しまれていました。
しかし移籍先の巨人は「紳士たれ」の伝統にのっとり長髪やヒゲ、染髪は厳しく禁止。そのため巨人入団が発表されたこの日、会見に姿を現したシピン選手は、自慢の長髪は短髪に、ヒゲもきれいサッパリと剃り落とし、まったくの別人のような風貌に変身していたのでした。
背番号は大洋時代と同じく「11」に決定。これはこの年に巨人入団したばかりの角三男(すみ・みつお=現・角盈男)投手がつけていた背番号でしたが、それをシピン選手に譲る形となりました。
参照 : 昭和53年3月21日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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