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【今日は何の日?】3月30日=ブギの女王・笠置シヅ子が死去(1985年)/ 雑学ネタ帳

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ちょうど40年前の1985(昭和60)年。戦前から歌手、女優として活躍し、戦後は「ブギの女王」として歌謡界に新風を吹き込み、大阪弁を活かしたコミカルな演技で女優としても活躍した笠置シヅ子さん(かさぎ・しづこ=本名・亀井静子、旧芸名は笠置シズ子)が夜11時43分、卵巣がんのため東京・中野区内の病院で死去。70歳でした。
笠置さんは香川県大川郡出身。小学校卒業後の1927(昭和2)年に大阪松竹楽劇部生徒養成所に入り、その年に初舞台。38(昭和13)年に松竹楽劇団の東京公演でジャズ歌手としてデビューしました。
戦後となり、47(昭和22)年に有楽町の日劇にて服部良一さん作曲の『東京ブギウギ』を歌ったところ、底抜けに明るい解放感とともに爆発的な大ヒット。以降、服部さんとのコンビで『ヘイヘイブギ』『ジャングルブギ』『買物ブギ』などが立て続けに大ヒットします。ブギのブームがひと段落した後も、映画出演で"エノケン"こと榎本健一さんとのコンビで明るい歌と笑いをふりまきました。
57(昭和32)年に歌手廃業を宣言した後は、女優業一本に絞りつつ、一人娘のエイ子さんとの静かな生活を軸に。67(昭和42)からはテレビ番組『家族そろって歌合戦』(TBS)の審査員を務めたり、家庭用洗剤『カネヨン』のCMに出演するなど、お茶の間の人気者であり続けました。
81(昭和56)年に乳がんが発覚し、84(昭和59)年に卵巣へと転移して再入院。近親者の話によりますと、笠置さん本人は最期まで、自身ががんであることは知らないままだったそうです。
葬儀委員長を務めた服部良一さんは「敗戦で暗く沈んでいた国民に、自分の持っているすべてを投げ出して歌い踊り、明るく元気づける役割を果たした。当時は派手に動き回る歌手がいなかったので、彼女の歌と踊りは強烈な印象を与え、テレビ時代を先取りしたエンターテイナーだった。エネルギッシュな人だっただけに、もっと長生きしてくれると思っていたのですが......」と、その死を悼みました。
また、個人的にも親しく、盟友であった歌手・淡谷のり子さんは「今朝、電話で連絡を受けて、胸がつぶれるようでした。入院前に何度も食事に誘われたのに、都合がつかなくてお会いできなかったのが残念でなりません。動と静と、色合いの違いが面白いと思われたのか?よく共演したものですけど、大阪松竹楽劇部でみっちりしごかれただけに、歌も踊りも見事な人で、本物の歌手がまた一人いなくなったと思うと寂しいですね」と語っています。
そんな笠置さんの生涯を題材としたNHK連続テレビ小説『ブギウギ』が2023年10月から放送され、主演・趣里さんのはつらつとした歌や踊り、演技とともに話題と人気を呼び、笠置さんを知らなかった若い世代にも、その楽曲や功績が再び知られることとなりました。
参照 : 昭和60年4月1日付の読売新聞朝刊
文 / 高木圭介
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