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ニュース 今日は何の日?雑学 2025/04/01

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【今日は何の日?】4月1日=国鉄武蔵野線が開通・府中本町~新松戸間(1973年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

52年前の1973(昭和48)年。東京都下と埼玉、千葉の両県を弓状に結び、「第二の山手線」として期待が高まる国鉄(現・JR東日本)武蔵野線が、府中本町~新松戸間の57.5km区間で開通。この日の始発電車より営業開始しました。

まだ現在のように沿線に人口は多くなく、のどかな武蔵野の風景の中に線路が敷かれた形です。乗客用の途中駅は東京都が北府中西国分寺新小平新秋津の4駅。埼玉県が東所沢新座北朝霞西浦和南浦和東浦和東川口南越谷吉川三郷の9駅。千葉県が南流山と1駅で計15駅となります。このうち北府中駅と南浦和駅以外は、すべて新駅としてこの日にオープン。そのうち12駅では当時、まだ珍しかった自動改札が導入されています。

もともとは旅客用というよりは山手貨物線に代わる貨物輸送を目的とした新線だったため、まだ少なかった乗客よりも貨物輸送が優先。そのため乗客を乗せた電車の運転間隔は、朝のラッシュ時で約15分、夕方で約20分、その他の時間帯は約40分に1本というものでした。

この開通とともに国鉄の京浜東北線中央線常磐線南武線西武池袋線と接続し、都心へのアクセスの良さから徐々に人気路線となり、武蔵野線の開通に合わせて宅地開発も進み、沿線の人口は爆発的に増え続けることとなったのでした。

この日は下りの始発駅・新松戸と、上りの始発駅・府中本町でそれぞれ早朝に出発式が行われ、泊まり込みの鉄道マニアたちが駆けつけ写真撮影。府中本町駅では早朝5時30分すぎに6両編成の一番列車が3番ホームへと入り、約800人もの鉄道ファンに見守られつつテープカット、クス玉が割られるとともに「鉄道唱歌」の演奏に見送られて出発。

ところが順風満帆とばかりにはいきません。午後2時前に東浦和駅を出発した電車は、どういうわけか?ドアが閉まらなくなってしまい、開通早々に故障電車と化し、ドアの代わりにプロレスやボクシングのリングよろしく、ロープが張られた形で南浦和駅まで走行するアクシデントに見舞われたのでした。

 参照 : 昭和48年3月31日付の読売新聞夕刊、4月1日付の朝日新聞夕刊

    文 / 高木圭介


 


 

 

 


 

 

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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