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ニュース 今日は何の日?雑学 2025/07/21

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【今日は何の日?】7月21日=甲子園大会県予選でノーヒットノーランが1日3試合・広島と愛知(1967年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

58年前の1967(昭和42)年夏の甲子園大会全国高等学校野球選手権大会)出場に向けて、各地域で予選が繰り広げられる中、この日、愛知県予選で2試合広島県予選で1試合と、計3試合ものノーヒットノーラン試合が達成されるという高校野球史上に残る出来事がありました。

まず、広島県営球場で行われた広島県予選の1回戦・広島県可部高校(現・広島県立可部高校)と盈進(えいしん)高校の試合で、可部高の渡義治投手が3四球と失策の走者を出したのみのノーヒットノーランを達成。

呉二河球場で行われた同じく広島県予選1回戦の県立西城高校(現・県立西城紫水高校)と県立尾道北高校の試合でも、西城高の竹島満投手が6四死球と失策による走者を出したのみのノーヒットノーランを記録しました。

また愛知・熱田球場で行われた愛知県予選の1回戦・享栄(きょうえい)商業高校(現・享栄高校)と名古屋市立工業高校の試合では、享栄商の小林国男投手が四球2、失策1で許した走者3人のみでノーヒットノーランを達成しました。

残念ながら、1回戦をノーヒットノーランで快勝した可部高校も西城高校も享栄商業も、この年の甲子園出場はなりませんでしたが、享栄商の小林投手は翌68(昭和43)年にエースとして甲子園のマウンドを踏んでいます。

小林投手は卒業後、西濃運輸の野球部へと進み、72(昭和47)年のドラフト会議で指名され、プロ野球のヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)に入団。主に中継ぎ投手として活躍し81(昭和56)年まで現役投手として活躍しました。

 参照 : 昭和42年7月22日付の読売新聞朝刊

      文 / 高木圭介

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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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