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【今日は何の日?】3月11日=放浪の天才画家・山下清が大阪で保護される(1958年)/ 雑学ネタ帳
《画像はイメージです》
66年前の1958(昭和33)年。放浪の天才画家・山下清さん(当時36歳)が家族の保護手配により、列車の中で大阪駅の鉄道公安員に保護されました。山下さんはジャンバーに薄茶色のズボン、例によって衣類をくるんだ敷布の包みと画板をぶら下げただけという軽装でした。
突然の保護にかなり抵抗した山下さんは「ボクは自由になりたいんだ」と公安員を手こずらせましたが、この夜は京都で知り合いの旅館に宿泊することになりました。
2年前(56年)に千葉・市川市の八幡学園から世田谷区深沢町(現・深沢)の自宅へと戻り、母・フジさん(当時63歳)、弟、妹と4人で暮らしていた山下さんですが、放浪の虫がうずき出すのは相変わらずでした。
前夜に熱海から帰宅した山下さんが夜通し、自室で荷物をまとめている姿を不審に感じたフジさんが一晩中、眠らずに様子を見張っていたものの、山下さんは朝5時すぎに窓から逃げ出して、またもや放浪の旅に出発。
まずは東急玉川線(玉電)で渋谷に出ると、保土ヶ谷までの切符を買い、横浜駅で大阪行きの汽車に乗ります。そこで鹿児島か熊本へと行こうと考えたものの、100円しか持っていません。そこで汽車の中で絵を描いては売ることを思いつきます。マジックインキで色紙にカーネーションやダリヤ、キンセン花、ツユクサなどを描くと、1枚100円也で飛ぶように売れました。自宅から持ってきた大きな富士山の絵は1,000円で売れました。
車掌さんか来たところで、1,600円を差し出して鹿児島までの切符を購入し、あとは汽車の旅を楽しむだけでしたが、家族からの保護手配により大阪にて捕まってしまったという次第です...。
旅を途中で止められた山下さんは不機嫌そのもの。タバコを吸いつつ「旅に出れば、自分が描いて自分で売るから金が自由になる。別に何も欲しくはないけれど、自由になりたいんだ。弟が迎えに来るようだが、どうしても九州へ行ってみたい」と訴えました。
息子が大阪で保護されたことを聞いたフジさんは「悪い画商にでも捕まって絵を描かされてはまずいと思い、11日午後に(警視庁)玉川署に捜索願を出しました。自宅から捜索願を出したのは初めてです。最近、絵を描けばお金になることを知ったようです」と心配顔だったとか。
参照 : 昭和33年3月12日付の朝日新聞朝刊
文 / 高木圭介
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介護のみらいラボ編集部コメント
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