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ニュース 今日は何の日?雑学 2025/06/08

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【今日は何の日?】6月7日=全日本レスリング選手権に覆面レスラーが登場(1975年)/ 雑学ネタ帳

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 《画像はイメージです》

介護のみらいラボ編集部コメント

高齢者や同僚との話題が浮かばないときにすぐ使える、ウケる、会話が自然と広がる、雑学ネタや豆知識が盛りだくさん!コミュニケーションの活性化にお役立てください。

ちょうど半世紀前の1975(昭和50)年。アマチュア・レスリング国内最高峰の大会となる全日本レスリング選手権最終日(東京・早稲田大学記念講堂)に、なんと覆面のプロレスラーが登場し、大いにファンを喜ばせました。

これは日本レスリング協会八田一朗会長の要請に、全日本プロレスジャイアント馬場社長が応える形で実現。ともにアマチュア・レスリング出身である同団体所属の"白覆面の魔王"ことザ・デストロイヤー選手(当時44歳)と、つい3年前(72年)にはミュンヘン五輪の日本代表選手(グレコ100kg超級)だったジャンボ鶴田選手(当時24歳)がアマチュアの大会に派遣されることとなり、プロレスの四角いリングとは打って変わり、ロープもないマットの上エキシビションマッチを披露することとなったのです。

プロレス中継のみならず、テレビのバラエティ番組でもお茶の間の人気者となっていたデストロイヤー選手は、後輩の鶴田選手を相手に、フルネルソンドロップキックヘッドロックエルボーなど、あえてアマチュアでは反則となる技術を駆使したような攻撃で、プロレスとアマチュア・レスリングの違いを観客に明確に説明しつつという、エンタメ性抜群の試合ぶりで"プロの矜持"を証明。また社会問題となっていた子どもたちの「プロレスごっこ」による事故防止を訴えていました。

当時は現在では考えられないほど、アマチュア競技とプロの交流がタブー視されていた時代です。そんな中、常に話題提供を考える八田会長の一押しで異例のプロ&アマ交流が実現した形となりました。

見事に期待に応えてみせたデストロイヤー選手と鶴田選手には、八田会長から感謝の証として記念の金メダルが贈呈。メダルを手にしたデストロイヤー選手は「生まれて初めての金メダルだ!」と高々と掲げては、試合後もファンサービスに務めていたそうです。

普段はほぼ関係者の姿しか見られないレスリング会場ですが、この日は人気プロレスラーによる動員力で、東京五輪(64年)以来の大盛況となり、約3,000人の観客を集めたそうです。

 参照 : 昭和50年6月9日付の読売新聞朝刊 

                   文 / 高木圭介

●この日に起きた他の出来事

史上唯一の珍事、福島競馬で全頭が落馬してレース不成立(1929年) 
関東圏で初のVTR放送が行われる(1958年) 
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高木圭介(Keisuke Takagi)

フリーライター

1969年、神奈川県川崎市出身。学生時代はレスリング選手として活躍。93年に東京スポーツ新聞社に入社しプロレスや格闘技を中心に取材。社会、レジャー担当記者、デスクを経て2014年9月に退社。現在はフリーライター兼コラムニストとして活動中。主な著書は『ラテ欄で見る昭和』(マイウェイ出版)、『新日本プロレス50年物語 第2巻 平成繁栄期編』(ベースボール・マガジン社)など。

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